戦争の爪痕伝える 雲仙・ふるさと平和学習 新聞記者の「記録する」使命感強く【ルポ】

雲仙市ふるさと平和学習の講師として児童のグループワークに加わる記者(中央)=7月12日、市立川床小

 雲仙市の小中学生が身近な戦争の歴史を学ぶ「ふるさと平和学習」。長崎新聞は教材作成や講師派遣に協力し、この春、同市に赴任した記者も6~7月、教壇に立った。戦後78年。当時を知らない大人が戦争体験を次の世代へどう継承するのか。その難しさを肌で感じながら、子どもたちに向き合った。
 「このお墓はどこにあるんですか」と聞かれ、どきりとした。6月6日、市立千々石第一小。6年生の授業を終え、男子児童が質問に来た。現地に行ったことがなく、教材に書いてある通り「千々石町岳地区」と答えるのがやっとだった。
 「お墓」とは航空殉難九勇士之墓。1944年2月、昭和天皇から渡された軍旗を運んでいたという航空機が雲仙岳に激突。乗員9人全員が死亡し、地元住民が墓を建てた-。準備して臨み、授業でこう説明したが、児童が知りたいことに答えられなかった。
 同校を後にして墓を探しに向かった。カーナビゲーションを使い2時間運転しても見つからない。翌日、市から詳細な地図をもらい、ようやくたどり着いた。墓前には花が供えられ、「79年前の事故を忘れない」という住民の思いを感じながら手を合わせた。
 こうしたエピソードを話せば、戦争をリアルに感じてもらえるかもしれない。現場の空気感を伝え、もっとイメージを持ってもらえたら-。この日以降、仕事の合間を縫って市内の戦争遺構を訪ねて回った。
 45年7月の愛野空襲の犠牲者を慰霊する忠魂碑(愛野町)。亡くなった児童14人の名が刻まれた銘板が碑の後ろにあった。旧日本軍の水上特攻艇「震洋」の基地跡がある南串山町京泊地区では、基地の巨大な穴を開ける作業中、住民が亡くなった。訪れると、人が入れないように柵があった。
 自ら足を運び戦争の爪痕を直接見ることで、使命感が湧き、授業で語る言葉に力がこもるようになった。
 「原爆は知っていたけど、雲仙市でもこんなにひどいことがあったなんて」「戦争がなければ亡くならなかった命。戦争は嫌だ」-。感想を読むと、ぎっしりと自分の言葉で書かれていた。思いが伝わった気がして、思わず涙が出た。
 ふるさと平和学習は、市教委が2021年度から、市内の小学高学年と中学生を対象に実施。今年で3年目を迎えた。市教委の担当者は「ロシアがウクライナ侵攻し戦争中の今こそ、子どもたちが身近な場所でも戦争があったのだと知ることは重要」と話す。
 「戦争を起こさないためにどうすればいいと思いますか」。毎回、授業で最後に質問した。「友達と仲良くする」「話し合いで解決する」。この気持ちをずっと忘れないでほしい。
 7回の授業を終えて、戦時中を知る市民に会って話を聞きたいという思いが強くなった。「戦後生まれだから」「誰かがやってくれる」。これまで理由を探し、どこか人任せだった。体験を直接聞ける時間は残りわずか。取材して記録する使命を強くしている。

© 株式会社長崎新聞社