Amazonプライムで2023/7/21配信開始!『シン・仮面ライダー』

バイク乗りの憧れ、仮面ライダーを名匠 庵野秀明監督が再定義した、生誕50周年企画作品『シン・仮面ライダー』が、Amazonプライムで独占配信開始!

[『シン・仮面ライダー』公式サイト]

子供向けテレビ番組のご都合主義と、大人向け映像作品の完全主義が混ざった作品?

仮面ライダーといえば、バイク乗りのスーパースター。徹頭徹尾正義の味方で陽キャのウルトラマンに対して、何かといえば落ち込み思い悩む陰キャな仮面ライダーは、昔の不良少年のマストアイテムだったバイクを相棒に、悪の組織に立ち向かう孤独なヒーロー(スーパーマンに対するバットマンみたい??)。さらに、大人の事情ではあるものの、少なめに抑えられた予算の中で最大限の成果を挙げることを求められたがゆえに生まれた、異端児だったのである!

実は、一身上の都合ながら、劇場での鑑賞チャンスを逃してしまったため、ネット配信開始をめちゃくちゃ楽しみにしていた。さらに、アマプラでの配信が発表されたことに安堵の吐息をついて、配信日を心待ちにしていたのだ。

『シン・仮面ライダー』は、ライダーの生誕50周年を祝した特別な企画作品であり、東映の強いバックアップを受けていたにしては案外 興行収入が伸び悩んだとも聞くし、庵野監督の久々の実写作品でありながら「面白くなかった」という声も多々聞く。しかし、若手イケメン俳優の登竜門と化したライダーシリーズの配役を避けて、敢えて?池松壮亮=本郷猛や柄本佑=一文字隼人のような、アクションのイメージから程遠い(その意味では藤岡弘。とも大きく異なる)、個性派俳優を採用した庵野監督を意図を信じるのが真のライダーファンというものだ。

[シン・仮面ライダー]

というわけで、Amazonプライムでの配信開始が始まるのを待って、静かに鑑賞したのである。そして、その結果は‥‥

まず相対的に言って、もともとの仮面ライダーが持つ、ダークで切ないモードを再現している点は合格点を出せる。30分の子供向けテレビ番組を、大人向けの味付けにして作り直したと考えれば上等だと思う。

例えば世界征服を目論む悪の組織ショッカーは、より良い世界を実現しようとする純度100%の、意識が高すぎる人たちが作り上げた組織として描かれていた(あまり頭がよすぎて、感受性が高い人が思い詰めるとアブないと言いたいのか笑。ちなみにショッカーの正式名称は、Sustainable Happiness Organization with Computational Knowledge Embedded Remodeling。その頭文字をとって通称SHOCKERと呼ぶ。また、怪人たちは怪人とは呼ばれず、オーグメント=Orgment−組織の一員であるから、クモとの合成人間はクモオーグ、ライダーはバッタとの合成人間であるからバッタオーグと呼ばれる)。

が、初めてライダー作品を観た人には逆にひどく不親切でわかりづらいものになってしまったと思う。
ところどころ繰り返される、初代ライダーシリーズを観ていたものにしかわからない暗喩や引用が多かったこともその要因だろうし(例えば、ショッカーを脱走した北郷猛−池松壮亮 や緑川ルリ子–浜辺美波 を支援≒利用するCIAぽい謎の組織のメンバーの名前が、立花–竹野内豊 と滝 −斎藤工だったりする)、各ショッカーのオーグたちは(ショッカーの本部?東京支部?のボス 仮面ライダー0号となる緑川イチロー−森山未來 も含めて)横連携というか、他のメンバーと協力しようという雰囲気はゼロで組織力を感じさせられるようなところは全く見られないのだ。いくらショッカーの元メンバーとはいえ、ルリ子と本郷があまりに簡単にオーグ達ののアジトの中心にまで出入りし過ぎだろうと思える。
そもそもライダーの造形や、なぜ彼がショッカーの戦闘員たちに簡単に勝てるのかなどは分かりやすく、緻密に作ってあるのだが、肝心の戦闘シーンはライダーシリーズが始まった1970年代のそれを再現しようとしたせいか、ひどく稚拙なものになってしまっている。一言でいえば、作りが雑、というか、チグハグなのである。

要するに、全体を貫くトーンや脚本は良いのだが、30分番組を組み合わせたような不自然で雑な作りが、マニアックなまでの執拗で緻密な造り込みの存在によってかえって悪目立ちしてしまっている、ということだろう。
本作が、仮面ライダーの原案者/原作者である石ノ森正太郎が生み出したストーリーや設定を現代の解釈で描きなおしたものであるとすれば、ほんとうなら、30分のテレビ番組としてワンクールは続けるべきものかもしれない。
それが2時間という通常の映画の尺で描こうとされたこと自体が間違いだと言えるだろう(というか、本来は映画として展開することが決まっていたのだから、この造り方が間違っているというべきだろう)。

本作を観るべき点

庵野監督が、そのライダー愛を全開にしてくれた点をまずはお伝えしたい。

仮面ライダーをはじめ、敵方の怪人(オーグと呼ぶべきだけど)の造型は、かなり良い。というよりさすがという感じだ。敵も味方もマスクを被る理由がちゃんと描かれているし(マスク自体がオーグとしてのアイデンティティを示しているし、マスクに闘争心を掻き立て情け容赦なく全力を出させるソフトウェアが仕込んであるのだが、何よりマスクなしの顔は流石に醜く変貌しているから、隠したくなるのは人情と思える)、マスクはオーグ側も非常にカッコいい。クモでもカマキリでも相当にイケてるから、敵味方関係なくつけたくなるはずだ。
それに、ライダーのボディやグローブなどへの違和感は、防護服として着用しているという説明がなされているから、上手に解消されている。
(初代)ライダーは少なくともショッカーの怪人(本作では繰り返すがオーグ)として改造されたのだから、バッタの化け物のはずが、見た目がそれなりにかっこいいし、化け物感が少ないという違和感を、“テレビだから”という言い訳で感じないようにしてきた人たちは多いと思うが、本作においてはその違和感へのきれいな回答が用意されているわけだ。

さらに、仮面ライダーに変身する(=人間→オーグ)には(サイクロン号という愛車のスーパーバイクにまたがることによるなど)風の力がいるのだが=風力をエネルギー(本作ではプラーナと呼ばれている)に変える のだが、本来なら人間から仮面ライダーに変わるための“儀式”が面倒過ぎる。だが、本作においては、プラーナの強制排除機能を使うことで人間に戻れる(=オーグ→人間)、つまりオーグの力をフルに使えるようになるのはそれなりに大変で、戻ることは簡単。だけどあまり戻ろうとする者はいないという逆説が成立しているのである。
オーグになることですごい力を得られるから、人間には戻りたくない。だけどオーグになると醜くなる。だから、マスクを被りたい→オーグは基本オーグの姿を維持しており、大抵はマスクを被り続ける、ということだ。

こうして仮面ライダーがヒーローとして成立するための約束事が、キレイに論理立っているので、ツッコミどころがほとんどなく、大人も安心して見ていられるということになるのだ。

大人が安心して見ていられる、という言い方からすると、ハチオーグ(ミツバチではなく、スズメバチ)を演じた西野七瀬の存在感はなかなかのものだった。大人の鑑賞に充分耐える出来だったと感じるし、むしろ彼女とルリ子の百合的感や 口吻は毒性というか、独特の味わいがあった。

常に冷静沈着で感情を表に出さないルリ子が、仮面ライダー 本郷猛とのやりとりを通して徐々に人間的になっていく様も良かったが(あまり好きでなかった浜辺美波への印象も好転したが)、西野七瀬の役得はより大きかったと思う。

関係ないが、本作は主役陣とは別に、大物芸能人が使い捨ての、エキストラであるかのような
扱いでの出演(クレジットを見なければわからない?)をしている(例 前述のサソリ女役の長澤まさみ。ライダーやルリ子らとの絡みは一切ない)。

いささかクレイジーでセクシーなサソリオーグなら登場時間もまあまあな尺でまだマシなのだが、松坂桃李(ショッカーのAIの肉体的代理人でありロボット刑事K−ケイ のオマージュであろうロボット執事Kの声?)や本多奏多(ゲルショッカー??−死神博士チームと称していた– の、カメレオン+カマキリのKKオーグ?柄本佑演じる仮面ライダー2号にすぐやられてしまう)、大森南朋(2度見たがどこにいたか全くわからない)らが出ていたらしい。

首を傾げざるを得ない点

まず一番気に入らないのが、仮面ライダー最大の武器である、ライダーキックの描き方だ。
蹴りを喰らわせて相手が吹っ飛ぶのなら分かるが、庵野監督は蹴りを喰らわせたまま、敵を壁や地面に押さえ続けるような演出をしている。
そしてそれはコウモリ男の蹴りを受けて吹っ飛んだ緑川ルリ子をライダーが受け止めて助けるシーンでも、オーグの攻撃を受けた人間(ルリ子)がほとんど効いていない。庵野監督は喧嘩したことや格闘技の経験がないのかな?と思わせられる不思議な点だ。(本作はR15指定になっているのだが、その要因になった、ライダーショッカー戦闘員を殴り殺すシーンでも同じような演出が多かった)

仮面ライダーを凌ぐ力を持つラスボス、チョウオーグ=緑川イチローの戦闘態(仮面ライダー0号と自称)が、舞踊家の動きを格闘に取り入れようと努力はするが、それも全く生かされておらず、むしろ逆効果に思えたのだ。(逆に言えば子供になら伝わるのかもしれない)
ヒーロー映画で格闘シーンが一番ひどいとされてしまうことはやはり大きな問題となるだろう。

また、長澤まさみ演じるサソリ女を(その毒を得るために?)武装チームによる駆除を立花たち(謎の秘密機関)がライダーの力を借りずに行うのも、そもそも秘密組織であるショッカーの幹部であるオーグたちのアジトの所在を立花たちが常に把握していることや、そのアジトに易々とライダーたちが侵入できる様子もおかしな点だが、やはりオーグたるものの攻撃の強力さや無慈悲さの描き方が中途半端なことは、やはり残念極まりないとしかいいようがない。

総合点 : 映画館で観るよりTV画面で観た方が良いと思う→そうすれば何度でも観られる作品!

本作はわずか3ヶ月ほどで映画館での上映が中止されたらしいから、興行的にはあまり成功とは言えなかったのかもしれない。ただ最近の映画作品は、映画館での上映だけでなく、グッズの販売や映像のストリーミング配信など、ビジネスモデルが多彩だから、トータルの売上はわからない。

だから僕もトータルとして結論づけよう。
本作は、少なくともバイク乗りならば絶対的に観るべきだが、大人にオススメしたい作品だ。
少なくとも僕はあと2回は見るだろうし、繰り返しみたい部分は多々ある。

現代の、仮面ライダーというある意味安直ではあるが、絶対バイクとヘルメットが不可欠な存在の意味もわからず、イケメン俳優が主人公だからと思ってなんの疑問も感じない人々はおいて、本作は 暴力と恐怖と不安に満ちた初代ライダーのムードを歓迎しながらも30分尺のヒーロー番組のいい加減さの再来に怯える 大人には、冒頭のような安心感を与えてくれるのだ。

戦闘シーンはそのCGをふくめてかなりチャチだが、テレビ画面で観ることでなんとか我慢できれば、全体としてはまあまあ上手く作ってある。(昔の映画や漫画でも、昔だからと思って楽しむことはできるはずだ)

あとは、庵野監督が観ている人に伝えたかったであろうメッセージを素直に受け取ればいい。
緑川ルリ子は最初こそ独りでショッカーに打撃を与えようとするが、少しずつ本郷猛をあてにしだすし、その本郷=仮面ライダーも、一文字隼人=2号ライダーへの信頼を覚えはじめる。

そしてその本郷や、ルリ子への仲間意識を抱きはじめる一文字隼人は、2人への想いを胸に仮面ライダー2号として、例え独りでもショッカーと戦い続ける意志を持つようになる。
つまり庵野監督は 他者を思いやり、守るには強い力と、それを正しく使うための自分や 仲間への信頼が必要だというメッセージを本作に込めたと思うのだ。

少なくとも、たとえ敗れても、たとえ1人になってもあきらめずに闘い続ける意志や、同志への信頼を抱きつつもそれを守ろうと考えること、もしくは、敵であってもただ殺したり蹂躙したりすればいいわけではないという意識を持つという、とても難しい選択肢を持つ必要を説いているのだと思う。

小川 浩 | hiro ogawa
株式会社リボルバー ファウンダー兼CEO。dino.network発行人。
マレーシア、シンガポール、香港など東南アジアを舞台に起業後、一貫して先進的なインターネットビジネスの開発を手がけ、現在に至る。

ヴィジョナリー として『アップルとグーグル』『Web2.0Book』『仕事で使える!Facebook超入門』『ソーシャルメディアマーケティング』『ソーシャルメディア維新』(オガワカズヒロ共著)など20冊を超える著書あり。

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