身近な死、悲しみもなく 新城喬さん(4) 捕らわれた日<読者と刻む沖縄戦>

 新城喬さん(91)=北中城村=は東風平村(現八重瀬町)富盛の古墓から集落の惨状を見ていました。

 《艦砲射撃や空襲がひどくなり、墓から見下ろせる富盛集落もあちこちで火災が発生しました。夕方、空襲のやんだ時を見計らって、家に残した食料を取りに行きましたが、それもできなくなってしまいました。

 昼間はほとんど、骸骨の入った壺が置かれている墓で、家々が焼けるのをぼうぜんと眺め、夕方は縄で下りて用を足す。もちろんトイレはなく、草場で済ませて木の葉で拭きました。》

 「戦争には勝つ」と信じていた新城さんも4月下旬以降は「戦況は厳しくなった」と感じるようになりました。

 《火炎放射器による攻撃で、家もサトウキビ畑も焼けていくのを見て、目の前まで危険が迫ってきていると感じました。》

 そんな中、新城さんらが避難していた崖上の古墓には行けず、崖下の岩陰に隠れていた祖父の姉が亡くなります。

 《いつの間にか飢えと恐怖で死んでいました。葬られることもありませんでした。そして私たちは南部へ避難することに決まりました。

 一人の身近な人の死について悲しみもなく、哀れとも思えず、見捨てられた形で死んでいた。その孤独を考えると、戦争は人間の理性を失わせるとしか思えません。》

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