苦戦が続くヤマハとホンダ。日本メーカー復活の処方箋(中編)/御意見番に聞くMotoGP

 2023年のMotoGPは第8戦を終えて7月はサマーブレイクとなりました。8月から後半戦を迎えますが、日本メーカーであるヤマハとホンダが後半戦に活躍できるのかが気になるところでしょう。

 そんな2023年のMotoGPについて、1970年代からグランプリマシンや8耐マシンの開発に従事し、MotoGPの創世紀には技術規則の策定にも関わるなど多彩な経歴を持つ、“元MotoGP関係者”が語り尽くすコラム第12回目です。

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⎯⎯今回は日本メーカーの栄光と挫折の歴史を紐解くというお話しでしたが、それで処方箋が見えてくるという事ですね。

 そういう事、それには時系列的に何が変化したかを理解する必要があって、話は長くなるけど2012年以前にも目を向けるべきだと思うんだ。

 ヤマハは早い時点(2007年)でホルヘ・ロレンソ選手を確保して、ポストロッシのエースライダー候補として、バレンティーノ・ロッシ選手のチームメイトとして迎えたというのは知っているね。

 2006、2007年とタイトルから遠ざかったロッシ選手が、2008年には既に強力なゲームチェンジャーとなっていたブリヂストンタイヤを得て、前年度チャンピオンのドゥカティのケーシー・ストーナー選手を一蹴してチャンピオンに返り咲いた。そして翌年からチームメイトのロレンソ選手と熾烈なチャンピオン争いを繰り広げて、ヤマハ無双の時代が続いたんだ。

「たられば」になるけど、2010年のロッシ選手のムジェロでのクラッシュとその後の欠場が無ければ、チーム内でのチャンピオン争いというヤマハにとっては悩ましくも輝かしい状況がずっと続いたに違いないね。

2015MotoGP:最高峰クラス3度目、通算5度の王者となったホルヘ・ロレンソ(Movistar Yamaha MotoGP)

⎯⎯2008年といえばリーマンショックの年ですね、未曽有の就職難でしたけど……

 そうそう、あの時はレース関係の費用も大幅に圧縮されたはずだけど、2007年に開発の遅れから屈辱的な敗北を味わったヤマハは、復権の為に多額の投資をして獲得したエンジンと制御に関する技術資産、それにロッシとロレンソという最強のカードを持っていたから、その後も君臨し続けることが出来たんだ。

 2010年はロレンソ選手が参戦3年目にしてチャンピオンを獲得し、翌年はドゥカティからホンダに移籍したストーナー選手が二度目のチャンピオン獲得。プライドをひどく傷つけられたロッシ選手がドゥカティへの電撃移籍したのは前編でも触れたけど、800cc時代の末期はかなり激動していたね。

 1000cc元年の2012年は、今度は開発が順調に推移したヤマハのロレンソ選手が二度目のチャンピオンを獲得。一方で古巣に戻ったロッシ選手は再び表彰台の常連に加わる速さを取り戻したけれど、もはや異次元の速さを発揮しているマルケス選手の勢いを止める力は無かったね。力の衰えと世代交代という、冷酷な現実に直面していたわけだ。

⎯⎯Moto2から昇格したマルケス選手はデビューイヤーでチャンピオンと別格でしたね。

 マルク・マルケス選手がMotoGPに昇格したのは2013年だったかな。あの時は新人離れした走りで、僅差でロレンソ選手を抑え込んでチャンピオンを獲得したのには驚いたね。参戦一年目でチャンピオンはロッシ選手でも成しえなかった偉業。

 それにまだ20歳になったばかりだし、予想通りその勢いは2015年を除いて2019年まで続いて、足掛け7年間君臨してしまった。ちなみに2015年はロッシ選手との確執が表面化して、レース中の接触でマルケス選手がリタイアする場面が何回かあって、老獪な元チャンピオンの仕掛けた場外・場内バトルに若造君がしてやられたって感じだったね。

2023MotoGP:ドゥカティを追うヤマハのふたり

⎯⎯ホンダのマルケス選手が君臨する一方、ヤマハはチャンピオン争いから遠ざかりましたね。

 ロッシ選手の高齢化、チームメイトのロレンソ選手との確執、マルケス選手とドゥカティの台頭などの要因が色々あって、チャンピオン争いから遠ざかることになってしまったけれど、2019年には「コーナーの前後100mで誰にも負けないマシン」という明快なコンセプトの下にエンジンの扱いやすさを徹底的に磨くことで、シーズンの半分のレースでポールポジションを獲得するという明確な速さを身に着けたんだ。

 チャンピオンは獲れなかったけれど、この改革は2年後の2021年にファビオ・クアルタラロ選手がチャンピオンを獲ることで結実した。一方でライバルが注力する空力開発やライドハイト変更などの補助デバイス開発には出遅れた事もあって、改革の優位性はすぐに失われてしまったけどね。

⎯⎯今シーズンは念願のエンジン性能が強化されて期待が高まっていましたが……

 テストでは最高速の向上と言う数値での成果は得ていたけれど、僕は当初から疑問視していた。最高速は向上したけれど、一周の速さを失ってしまったので、予選で上位に入れない。スタートで運よく前に出られないとトップ争いも出来ないという悪循環に陥っている。

 実戦になって初めて失ったものの大きさに気付くというミスを犯してしまったというのが現実。でもね、たとえ短期間であっても明確なコンセプトを貫くことで結果が出た事実は、処方箋を書く上では大事なポイントなんだ。

2019年のMotoGP王座を獲得したマルク・マルケス(レプソル・ホンダ・チーム)

⎯⎯一方のホンダはマルケス選手が2020年に長期離脱してからチャンピオン争いとは無縁になりましたね。

 翌年に復帰したけれど14戦に出走して優勝3回、リタイア4回と不安定な成績で通期では7位(しかもこれがホンダ勢最高位)。2022年は更に不調で、シーズン途中から右前腕骨の再手術のために再び長期離脱し、シーズン後半に復帰したが2位が最高位で通期では13位(やはりこれがホンダ勢では最高位)。

 つまりマルケス選手の不調の陰に隠れていたけど、ホンダの低迷は2020年頃から既に始まっていて、2022年はより悪化したということ。当然ホンダも非常事態であるという認識はあって、2022年には全く新しいマシンを投入したけれど、これがどうにも乗り辛い代物で、今シーズンもその傾向が改善されていないように見える。マルケス選手含めて、3人のライダーが相次ぐ転倒による怪我で欠場している厳しい状況が、悩めるホンダの現実。

⎯⎯そこで処方箋に期待するわけですが、これまでの振り返りで何が見えたのでしょうか。

 もうわかってしまったと思うけど、レースで成功するか否かはライダーの資質との相関性が非常に高いという事。ライダーの資質と言っても、優れた操縦技術はもちろん、どんなマシンにもすぐに適応する能力と、マシンの特性を正確に分析してフィードバックする能力に大別されると僕は思っている。

 前者はレーシングライダーとしてはとても心強い反面で開発の方向性を決めるような重要な局面では、どんなマシンも器用に乗りこなしてしまう能力が仇になって、エンジニアの判断が難しい事がまああるんだ。

 しかし、天才的に速いとされるライダーは殆どがこのタイプで、後者の能力も兼ね備えたライダーは希少だ。残念ながらマルケス選手やロレンソ選手がこのタイプで、唯一全盛期のロッシ選手は両方を備えた稀有な存在だった。ただ、いずれにせよ優れた資質を持ったライダーに結果を依存せざるを得ない以上、現在のような一蓮托生の状況もあり得るという事を常に覚悟しなければならないわけだよ。

 ヤマハの場合はロッシ選手に鍛えられたおかげで、マシンを速く走らせるための普遍的なロジックは理解していて、エンジニアの共有知として継承されていると見てよいだろうね。2021年に一時的にせよ復活できたのがその証でもあるから。

 一方でホンダの場合は問題がより深刻だと言わざるを得ない。ライダー不在の間に、ロジックの継承を受けていないエンジニアに開発の方向性が一任されてしまった、と言うのは言い過ぎかもしれないが、客観的に現在の状況はそのように見えるしね。

 さて、次回はいよいよ具体的な処方箋について考えてみよう。

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