サンフランシスコの富はシリコンバレーへ

宮家邦彦(立命館大学 客員教授・外交政策研究所代表)

宮家邦彦の外交・安保カレンダー 2023#31

2023年7月31日-8月6日

【まとめ】

サンフランシスコの目抜き通りが「シャッター通り」に。

・同市の富の大半は、シリコンバレーなどに移りつつある。

・アメリカは、再び世界の文化の中心に復帰できるのか。

まずは、いつもの通り、欧米から見た今週の世界の動きから始めよう。ここでは海外の各種ニュースレターが取り上げる外交内政イベントの中から興味深いものを筆者が勝手に選んでご紹介している。欧米の専門家たちの今週の関心はこうだ。

8月1日火曜日 国連安保理、米国が議長国に

【久しぶりの議長国ということでワシントンは張り切っているかもしれないが、国連安保理が本来の機能を果たさない状態は、ほぼ国連発足当初から続いている。】

8月2日水曜日 トルコ大統領、ロシア大統領と電話会談

【「穀物合意」のように、エルドアンがウクライナ戦争で、ある程度仲介役を果たしてきたことは事実。国会の南半分はトルコ沿岸だし、昔トルコはロシアと何回も戦っている。だが、今のトルコに出来ることは限られている。今回の電話会談でロシアが穀物合意に復帰する可能性は低いが、エルドアンは本気でプーチンを説得しようとするだろう。】

米副大統領、モンゴル首相と会談

【米副大統領の招待によりモンゴル首相が8月2-6日に米国を公式訪問する。13世紀にはユーラシア大陸を席巻したモンゴルだが、今はロシアと中国という付き合いの難しい大国に挟まれている。モンゴル外交の基本は、中ロとのバランスを取りながらも、これらに過度に依存せず、日米など「第三の隣国」との関係を発展させること。今回の訪米もこの一環であろう。】

ローマ法王、ポルトガル訪問(6日まで)

【リスボンで開かれる第37回世界青年デーに出席するためというが、法王の世界青年デーイベント出席は数年おきに行われており、特に政治的な背景はなさそうだ。】

8月3日水曜日 イスラエル最高裁、ネタニヤフ政権の「司法改革」法に関する請願を審議

【イスラエル司法部門の権限を制限する法律が議会で可決された問題に対し、イスラエルの最高裁がどう反応するか、大いに気になるところだ。憲法違反としてガチンコで行政府・ネタニヤフ政権と戦うのか、それとも、行政府側との新たな役割分担を模索するのか?恐らく前者だろうが、その場合、全体としてイスラエル政府が機能停止に陥る恐れもあり、要注意である。】

コロンビアで政府と反政府勢力の6か月間停戦始まる

【現政権はコロンビア初の左派政権だが、強力なマフィア組織と戦いつつ、様々な改革を進めようとすれば、当然既得権勢力と血みどろの戦いになる。そこで生まれた6か月間の停戦合意だそうだが、果たして何週間どころか、何日続くのだろうか?】

8月4日金曜日 タイ議会、首相選出投票を実施

【下院議長が7月27日に予定されていた議会での第2回目の首相指名選挙を延期すると表明、総選挙から2カ月以上が経過しても、タイでは新首相就任のめどが立っていない。無期延期と報じられていた選挙は漸く8月4日に行われるというが、果たして結果を出せるのか、タイの混乱はまだまだ続きそうだ。】

ロシアの野党政治家ナワルニー氏に対する裁判で判決

【収監起訴服役していたナワルニーはプーチン大統領の政敵の一人だが、西側であまりに有名になったので、もう暗殺はできないだろう。そこで考えられたのが「追加起訴」である。ロシア検察は「過激主義」容疑でナワルニーに新たに懲役20年を求刑した。その判決が出るのか、出るとすれば何年の刑になるのか。まさか無罪ではないだろう。プーチンはナワルニーを死ぬまで監獄から出さないつもりに違いない。】

インド野党指導者、名誉棄損罪の懲役二年判決を控訴

【民主国家インドはクアッドの一員でもあり一般的印象は悪くないが、インド野党にもそれなりの言い分はあるはずだ。インドの影の部分にも要注意である。】

8月6日日曜日 ニジェールに対し一週間以内に憲法秩序回復を求めた西アフリカ経済共同体の期限切れる

【ナイジェリアで西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)の緊急会合が開かれ、拘束されているニジェールの大統領を1週間以内に復帰させるよう軍事政権に求めた。ECOWASは首脳会議後に声明を発表し、クーデターを一切容認せず、要求が1週間以内に満たされない場合、憲法による秩序の回復に「武力行使を含む、必要なあらゆる手段を取る」と警告したそうだ。ニジェールの混乱はこれから一層深まるのか。】

ところで、筆者が今週気になったのは、最近久しぶりに訪れた米国西海岸サンフランシスコの現状だ。筆者が初めてサンフランシスコを訪れたのは1970年代初頭、当時のサンフランシスコはヒッピーが主導する「革命」の象徴だった。筆者を含む一部の日本の若者にとっては、文字通り憧れの町、新しい文化の聖地なのである。

そのサンフランシスコで1967年に開かれたイベント「サマー・オブ・ラブ」には全米・欧州から最大10万人のピッピーや若者が市内のヘイト・アシュベリー周辺に集まった。当時のサンランシスコは音楽、ドラッグ、フリーセックス、表現、政治的意思表示の中心地、ヒッピー革命の本拠地だったのだ。

今回逗留した古いホテルの壁には、「サマー・オブ・ラブ」のポスターを含む多くの資料が所狭しと飾られていた。近所には当時ジャニス・ジョプリンが住んでいた家屋が今も残っている。そこにはグレイトフル・デッドやジェファーソン・エアプレインなどのバンドメンバーが入り浸っていたそうだ。

当時同世代人だった筆者には懐かしい名前ばかりだが、あれから半世紀、今サンフランシスコはまるで変わってしまった。まず、(昔からほとんどの芸術家はそうだったが)貧乏な芸術家はサンフランシスコに住めなくなったという。シリコンバレーのIT革命で家賃・物価が高騰したためだ。新しく引っ越してきた若者たちは50年前のヒッピー文化などに全く興味はないそうだ。

彼らは自分たちの創造的能力を試し、人生に勝利することに関心はあっても、昔のサンフランシスコが果たした文化的役割にはあまり関心を払わない。今もサンフランシスコ市内に住む筆者の古い友人たちはそう言って昔を懐かしんでいた。そう、もう我々の知るサンフランシスコはなくなってしまったのだろう。

今回最も驚いたのはサンフランシスコの目抜き通りマーケット・ストリートが「シャッター通り」になりつつあることだった。サンフランシスコの富の大半は、市内にはなく、郊外のシリコンバレーなどに移りつつあるのか。今回某巨大IT企業を見学したが、その広大な敷地と世界中から集まる研究者、職員の多様さに唯々圧倒された。

詳細は今週のJapan Timesに書くつもりなので、お時間があればご一読願いたい。結論はただ一つ、昔筆者があれほど憧れたサンフランシスコはもう存在しない、同時に、筆者の自由で革命的(だと思っていた)アメリカ文化への憧憬も消えつつある、ということだ。これまで薄々感じていたことだが、今回はその思いが深まった。

この「アメリカかぶれが、何を今更!」と叱られそうだが、これから50年後、サンフランシスコは、そしてアメリカは、再び世界の文化の中心に復帰できるのか、大いに気になった。今週も米国出張を続けるので今回はこのくらいにしておこう。いつものとおり、この続きは今週のキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトに掲載する。

トップ写真:サンフランシスコ市内を走るケーブルカー 出典:Mireya Acierto/GettyImages

© 株式会社安倍宏行