<西サハラ>ガーリー大統領に面会 日本のモロッコ寄りの姿勢を批判

スペインが植民地支配を放棄し、今もモロッコが軍事占領と植民を続ける西サハラは、アフリカ最後の植民地とも言われる。本来の西サハラ住民であるサハラーウィはアルジェリアに逃れて難民キャンプを形成し、1976年にサハラ・アラブ民主共和国(RASD)樹立を宣言した。
2023年3月7日、難民キャンプ内の大統領官邸を訪ね、ブラーヒーム・ガーリーRASD大統領と単独面会した。「血のついた資源の略奪にわざわざ貢献」と、日本政府と企業の姿勢を強く批判している。(岩崎有一/アジアプレス)

執務室で話すガーリー大統領(2023年3月撮影:岩崎有一)

―――西サハラと日本の接点を確かめようと、私はこれまで、西サハラのモロッコ占領地とカナリア諸島、日本各地で取材を続けてきました。西サハラの資源が採取・輸出される現場を目の当たりにし、それが日本でも消費されている現実を知りました。難民キャンプは3度目の取材となります。日本に向けた大統領の見解をお聞かせください。

◆なぜ日本は私たちを無視するのか

なぜ日本は私たちを無視するのでしょうか。私には理解できません。特に、1991年(筆者注1)以降は顕著です。サハラーウィに対する日本のスタンスに、私たちは極めて大きな衝撃を受けています。
私たちサハラーウィの歴史において、私たちは日本に対してなにか誤った行いをしたことは一度もありません。
私たちは第二次世界大戦中における日本人の苦悩を知っています。ですから私たちは、日本人は他国の人民が受ける苦悩に対して、優しく、敏感であるべきだと思うのです。
この5年間のAUと日本のパートナーシップ(筆者注2)において、私たちに対する日本の対立姿勢は、極めて厳しいものでした。その対立姿勢は、ときには、(西サハラを軍事占領する)モロッコよりも厳しかったとさえ言えます。

TICAD7で初来日したRASD代表団(2019年撮影:岩崎有一)

日本国民、日本の連帯組織、日本の市民社会から、日本(政府)に向けて十分な圧力がかけられているとは、私たちにはまだ感じられません。日本(政府)の姿勢は不誠実なものです。抑圧された人々に対するこのような姿勢は、見直されるべきでしょう。
人間の行動基準というものは、侵略者の側ではなく、抑圧された人々の側にこそ、よって立つべきものです。人権を無視し、植民地主義と拡大志向をもった政権による虐待に、(西サハラのモロッコ占領地に暮らす)サハラーウィは日々苦しめられています。(日本にとって、)そんな血の付いた資源の略奪(筆者注3)にわざわざ貢献するほど重要な利益が、そこにはあるのでしょうか。それほど重要な利益とは、いったいなんなのでしょうか。

西サハラのリン鉱石を乗せた運搬船が門司港に向かう(2020年撮影:岩崎有一)

◆広島・長崎にも類似点

あなたがここ(サハラーウィ難民キャンプ)で見てきた人々は、ここに47年間暮らしてきました。
ここで生まれた人々の中には、今や孫のいる人までいますが、彼らはまだ祖国を見たことがありません。
ほかでもない軍事占領の結果、社会全体が苦しめられている(モロッコによる)抑圧の結果、息子や父親、娘、祖父や祖母を亡くすことのなかった家族はほとんどいません。
この状況は、広島や長崎を思い起こさせるものです。広島や長崎で起こったことと同じように、私たちはこの戦争で、両親、祖父、祖母や多くの人々を失いました。この点については、西サハラの占領地においても同じ状況にあります。

―――日本では、西サハラの資源輸入に携わる関係者にも、一般の人々にも、西サハラの状況はほとんど知られていません。西サハラ問題の解決を呼びかける市民団体(西サハラ友の会)が、2019年に発足しました。私たちはまだ、西サハラを知る最初の地点に立ったばかりだと感じています。

旧築地市場に並ぶ「アフリカ」の茹でタコ。西サハラのタコはモロッコ産として流通している(2018年撮影:岩崎有一)

◆西サハラは永遠の占領地ではない

尊敬される国というのは、短期的ではなく長期的に、あるいは近視眼的にならずに、ものごとを考えるものです。(尊敬される国は)目先の利益ではなく、先を見据えたビジョンをもって行動します。
日本の人々が、あるいは日本以外の人々が、ここ(西サハラ)を永遠の占領地だと思っているならば、それは違います。
客観的に見れば、各国はそれぞれ、モロッコや他の国との間において、自国の利益を守るべきでしょう。しかし、私たちのような抑圧された人々と敵対してまで、自国の利益を守るべきではありません。
明日にでも、明後日にでも、あるいは100年後であっても、私たちは(解放された)西サハラにたどり着きます。いずれ、ゴールにたどり着きます。

占領地の主要都市スマーラ。占領地におけるサハラーウィの人口比はおよそ2割にまで減少した(2018年撮影:岩崎有一)

◆絶対に忘れないふたつのこと

私には、決して忘れることのない、ふたつの点があります。私たちの味方に立ってくれた人と、私たちに対立した人、このふたつの違いを、私は決して忘れません。
つまり、彼ら(私たちに対立する人々)は、この地域における戦略的な利益を求めてはいないのです。明日や明後日といった、すぐ目先のことではなく、もっと長い目で見たビジョンをもつべきでしょう。
私たちは、私たちがこれまでに出会ってきた、私たちの味方に立ってくれる人々の尽力に、心から感謝しています。

サハラ・アラブ民主共和国ブラーヒーム・ガーリー大統領(2023年撮影:岩崎有一)

◆ガーリー氏はポリサリオ戦線の創設メンバー

西サハラのスマーラに生まれたブラーヒーム・ガーリー氏は、1973年に結成されたポリサリオ戦線の創設メンバーだ。現在 73歳。モロッコとの戦闘では主要な役割を担ってきた。その後、アルジェリア大使を経て、2016年、前大統領の死去に伴い大統領となった。

ポリサリオ戦線創設メンバーの顔ぶれ。中段右から3番目がガーリー氏(2023年撮影:岩崎有一)

4年に1度開かれるポリサリオ戦線党大会では、ポリサリオ戦線書記長を決める選挙が行われる。この選挙には、サハラーウィ難民キャンプからだけでなく、占領地の各地域代表者も参加。できるかぎりサハラーウィの総意が反映されるように考えられている。

党大会に参加した占領地の地域代表たち(2019年撮影:岩崎有一)

内閣、司法部、国民評議会からなるRASDは、ポリサリオ戦線と表裏一体の組織だ。党大会で選出されたポリサリオ戦線の書記長は、自動的にRASDの大統領となる。2019年12月の党大会で立候補・選出されたガーリー氏は2023年2月の選挙に立候補しない意思を表明していたが、同氏を推す声は多く、再度の立候補と再任に至った。

解放区のチーファーリーチーで開催された党大会にて。選挙後は宣誓式が続く。女性の閣僚も一般的だ(2019年撮影:岩崎有一)

支援国からの援助に頼らざるを得ない財政は厳しいが、国連やアフリカ連合、各国の支援事務所を通じたRASDの外交活動は活発に行われている。2019年開催のTICAD7(アフリカ開発会議)では、RASD代表団の初来日が実現した。

西サハラ全図(作図:岩崎有一)

(筆者注1)
1991年、サハラーウィの独立解放組織であるポリサリオ戦線とモロッコは、西サハラの帰属を住民投票で決めるとする国連和平案を受け入れ、停戦に至った。しかし、住民投票は未だ実施されず、モロッコは西サハラの軍事占領を続けている。
(筆者注2)
ここでのパートナーシップとは、アフリカ開発会議(TICAD)を指したものだ。TICADは日本とアフリカ連合(AU)の共催による国際会議であり、AU加盟国のRASDには、TICADに参加する権利がある。
2019年に横浜で開催されたTICAD7では、河野外相(当時)が閣僚事前準備会合で「日本が国家承認していない主体の(中略)TICAD7への参加は、日本の立場に影響を与えるものではない」と述べ、RASDとは向き合わない姿勢をあえて会場内で示した。また、2022年開催のTICAD8では、日本政府はRASDに招待状を送らなかったが、アフリカ連合委員会(AUC)がRASDに招待状を送ったことで、RASD代表団はTICAD8に参加することができている。
関連記事:<アフリカ開発会議>最後の植民地・西サハラの代表団が来日(1)(2)(3)(4)
(筆者注3)
西サハラには、水産物、鉱物、農産物、自然エネルギー、観光といった資源がある。これら西サハラの資源はモロッコが採取・輸出し、各国で消費されてきた。日本では特に、西サハラのタコなどの水産資源と鉱物資源の輸入と消費が続いている。
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