エディ・ブリケル&ニュー・ボヘミアンズ創設メンバー、ブラッド・ハウザーが逝去。その功績を辿る

Brad Houser - Photo: Harmony Gerber/WireImage

マルチ・プラチナム・ヒットを記録した1988年の『Shooting Rubberbands At The Stars(星に輪ゴムを)』と本作からの代表的ヒット曲「What I Am」で知られるエディ・ブリケル&ニュー・ボヘミアンズ(Edie Brickell & New Bohemians)の共同創設メンバー、ブラッド・ハウザー(Brad Houser)が、2023年7月24日に62歳で逝去した。亡くなる1週間前に脳卒中で倒れ、危篤状態で入院していたという。

ベース・ギター、バリトン・サックス、バス・クラリネットなどマルチプレイヤーとして知られる彼は、最近、エディ・ブリケルを含むバンド仲間たちと新作の制作に取り組んでいた。

エディ・ブリケルは自身のSNSで次のように追悼を捧げている。

「演奏とレコーディングのために我が友ニュー・ボヘミアンズと6週間を一緒に過ごしたばかりでした。レコーディング最終日にブラッドがライヴに出発しようとしていた時、私は彼にこう言ったんです。“もう1回ジャムしようよ、ブラッド。きみから始めて”って。彼はうなずいて、素晴らしい演奏をしてくれたので、私は満面の笑みで彼に彼のことを歌い始めて、楽しい時間を過ごしました。その時の私は最後の1曲を一緒に演奏してくれるという彼の寛大さを祝っていたのですが、それが私たちの最後の共演になるとは思いもよりませんでした。私たちのバンドの最後のジャムは、ブラッドについての遊び心溢れる曲です。彼のことが大好きでした。彼からはたくさんのことを学びました」

その生涯

1960年9月7日にテキサス州ダラスで生まれたブラッド・ハウザーは、1980年代初頭にギターのエリック・プレスウッド、ドラムのブランドン・アリーと共に結成したニュー・ボヘミアンズでヴィブラスラップ(体鳴楽器に分類される打楽器)を演奏していた。

エディ・ブリケルは、ブランドン・アリーも通っていたブッカー・T・ワシントン高等学校に同時期に在学していたギタリストのケニー・ウィズロウやパーカッショニストのジョン・ブッシュと共に1985年にニュー・ボヘミアンズに加入したが、その当時はお互いのことを知らなかったという。

地元のライブハウスで名を上げ、活動の幅を広げていったエディ・ブリケル&ニュー・ボヘミアンズは、ゲフィン・レコードとの契約を経て1988年に『Shooting Rubberbands At The Stars』をリリース。同アルバムは瞬く間にアメリカでゴールド、そしてプラチナ・ヒットとなり、1996年にはダブル・プラチナに認定された。当時のバンドのメイン・ソングライターだったエディ・ブリケルとケニー・ウィズロウが共作した代表曲「What I Am」は、全米シングル・チャートで7位を獲得するなど世界的ヒットを記録。

1990年にリリースしたセカンド・アルバム『Ghost of a Dog』のセールスは振るわず、その後バンドは解散に至ったが、2000年代に再結成を果たし、3作のアルバムを発表している。ブラッド・ハウザーは、後年オースティンに定住し、クリッターズ・バギン、デッド・ケニー・ジーズ、そして彼の妻キリロラ・オノコロとのコラボ・プロジェクトであるダイアモンド・ブームなどでバンド活動を続けていた。

彼はまた、恵まれないコミュニティーに無料の音楽クラスを提供するニュー・スクール・オブ・ミュージックで講師として働き、2019年にはReverend Guitarsで自身のシグネイチャーモデル“BASSHOUSER FATFISH 32”のベースギターをデザインしている。

Written By Paul Sexton

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