牧野博士、1935年氷見に足跡 オニバス視察で写真や短歌

写真に収まる牧野博士(右から2人目)と的場冨士彦氏(同3人目)

  ●朝ドラ「らんまん」主人公モデル

  ●交流の的場家が寄託、市立博物館3日から公開

 NHK連続テレビ小説「らんまん」の主人公のモデルとなった植物学者・牧野富太郎博士が1935(昭和10)年、氷見市十二町潟のオニバスの視察に訪れた際の記念写真と、オニバスを詠んだ短歌の直筆色紙などが市立博物館に寄託された。オニバス研究で博士と交流があった同市の的場家が申し出た。「日本の植物学の父」と称される博士の富山県内の足跡を示す貴重な資料で、博物館は3日から公開する。

 写真や色紙などオニバス研究の資料を寄託したのは氷見市十二町の的場明徳さん(88)。明徳さんの祖父冨士彦氏は旧十二町村長を務め、十二町潟のオニバスを長年研究し、1923(大正12)年の「十二町潟オニバス発生地」の国天然記念物指定に尽力した。全国の研究者と交流し、牧野博士とは27年ごろから書簡をやりとりし、35年の来訪につながったとみられる。

 写真には牧野博士と冨士彦氏、富山県内の研究者2人の計4人が並ぶ。場所は的場家の庭でオニバスの浮かぶ鉢が置かれる。8月26日撮影で牧野博士が73歳、冨士彦氏が66歳だった。

 短歌は「布(ふ)き連ぬ おにはすの葉は 鬼の子等(ら) 遊ひ戯むる席(むしろ)なるらむ」。葉に鬼の角のような突起があるオニバスの様子を表現した。牧野博士が35年の来訪時に詠み、的場家に残したと推測される。

 的場家では冨士彦氏が集めたオニバス研究資料を桐箱に収め、蔵で大事に保管してきた。明徳さんはドラマの放送を機に広く見てもらいたいと考え「牧野博士ら高名な学者と交流があった祖父のことをしっかりと伝えてほしい」と語った。

 寄託された資料には冨士彦氏が集めた十二町潟のオニバスの写真が数多く含まれる。十二町潟は冨士彦氏の時代と様相を変え、国天然記念物の指定地ではオニバスの自生が見られない。市立博物館の小谷超館長は「オニバス研究や人々の交流を知るだけでなく、オニバス復活を探るヒントになるかもしれない」と話す。資料公開は9月30日まで。

 「らんまん」には、富山新聞のCMに出演し、本紙で「心の窓辺」を連載中の浜辺美波さん(石川県出身)が主人公の妻役として出演している。

牧野博士と祖父の交流をしのぶ的場明徳さん=氷見市教育文化センター

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