住み慣れた東京から、大学生時代NPO活動をしていた陸前高田市に移住し、地域の交通課題や、子供の遊び場問題など、「目の前の1人」と向き合って活動を続ける木村あきらさん。
政治家という立場から、仕組みづくりを通して問題解決に取り組みたいと日々尽力しています。
今回は、木村さんが政治家になったきっかけやこれまでやってきたこと、今後の課題についてお話を伺いました。
きっかけはマニュフェスト大賞
選挙ドットコム編集部(以下、編集部):
木村さんが政治家になろうと思ったきっかけを教えてください。
木村あきら氏(以下、木村氏):
ずっと、「社会の役に立つ人」になることが夢でした。
大学1年の時から続けた、陸前高田市広田町のNPO法人での活動が5年目を迎えた時、それまでの私たちの活動が、マニフェスト大賞で部門ごとの最優秀賞を受賞しました。そこで、「自分たちがやっていることは、政治の世界で評価がいただけるんだ」と思ったのが最初のきっかけです。
また、会場にいた政治家の方々が、面白く、クリエイティブに活動していたのが印象的で政治に対するハードルが下がったのも大きかったといえます。
それで、「仕組みから考えて社会的な課題を解決する」という、ずっとしたかったことを、政治家という役割を通じて進めてみようと思いました。
NPO活動で「人から街は変わっていく」ことを実感
編集部:
NPO時代はどのような活動をしていたのですか?
木村氏:
大学生が1週間陸前高田の広田町に滞在して、街のために何かしらいいと思うことをアクションする、というプログラムで学生スタッフを束ねるマネージャー的なことをしていました。
実際に、小さくてもいいから「何かいいと思うこと」をアクションまで起こして、街の人に届けるんです。そして喜んでもらったり、怒られたりしながら学んでいくことをしていました。
編集部:
そこで、どのようなことを学んだのでしょうか。
木村氏:
街は人から変わっていくのかもしれない、ということです。
当時、街全体に国やゼネコンさんが入って、一生懸命復旧作業をしてくれていました。
それとは対照的に、とても小さなことを目の前のおじいさんやおばあさんと学生が一緒に積み上げていっていたんです。
そして、半年後、街へ帰ってきた時、街の雰囲気がさらに明るい雰囲気に変わっているのを感じました。「あ、あきらくんね」と色々な人が声をかけてくれたり、学生スタッフが街の人に馴染んでいたり、という光景を目の当たりにしたのです。
今目の前の手触り感といいますか、目の前にいる人と向き合う感覚を本物だと証明したいという想いが湧いてきたんですね。その時、ボランティアの延長ではなく、仕事として取り組もう、と移住も決めました。
今振り返ってみても「街の人の名前がわかる」「相手も僕の名前がわかる」という状況で政治家として仕組み面を考えられるのは、ありがたいことだと思っています。きっと1番大切なことをNPO活動を通じて街の方に教えていただいたことは今後の財産です。
街の人や仲間と挑戦した地域の交通課題
編集部:
木村さんが移住までして、それほど情熱を持って活動する原動力は何ですか?
木村氏:
人の喜ぶ顔がみたい、役に立てたら嬉しい、というのが根本にあります。あとは、人と一緒に何かできたときは特に嬉しくて充実感がありますね。
編集部:
政治家になってから、人と一緒に何かをやって印象的だった出来事はありますか?
木村氏:
僕は地域の交通を何とかしたいという思いがありました。はじめは、1人で提案や提言をしていたんですが、全く情勢は動かなかったんです。
そこで、1人でやるのはやめようと思って周りの人に頼るようにしました。
まず、知り合いの研究者の方に相談したところ、広田町の世帯調査を提案してくれました。
次に、同じ広田町の議員の方に頼らせていただいたんです。こういうデータが出ているので一緒に勉強しませんか、と言って。
一方で、街のおばあさんたちが「バスは不便だ」と口々に言っていたけれど、いざ聞いてみると、バスに乗ったことがないから、何が不便かわからない、と。
そこで、1回乗ってみませんか、と提案させていただきました。
すると、民生委員さんが、地区ごとに人を集めてくださって。町内の報告会より人が集まってくださり、乗車体験をしていただきました。
結果として、市役所でも優先度を上げてもらえて今では1日2本だったバスが4本になりました。さらにダイヤ変更もして、高校生の通学にも使ってもらえるようになったんです。
決して1人では成し得なかったことでした。
乗車体験をしてくださったおばあさんたちも「私たちが乗ったからバスが増えたんだよ」って嬉しそうに話していたことが印象的です。
すぐに結果は出ないとしても、仲間づくりをして課題に挑戦していることに意味があると思っています。
「若者の声」を届け、土日の子供の遊び場づくりを
編集部:
若者会議も木村さんが立ち上げたんですよね?
木村氏:
3年前に立ち上げました。アンダー40で集まって、広田町だけでなく、市全体のことを考えたり政治を考える場づくりをしたりしたかったんです。
最初のお声がけこそ、僕がしたのですが、政治に興味のある若手市民の方もいて、みなさんの力で少しずつコミュニティが盛り上がってきました。
現役世代で忙しい中優先度高く参加してくださる方も多く、テーマを持ち込んでくれたり、私の議会を傍聴に来てくれたりして共に活動しています。
オンラインでのアンケートなどを駆使して「若者はこんな政治を望んでいる」みたいな声を集めて市長に提言したりしました。
編集部:
実際にどのような提言をしたのでしょうか?
木村氏:
「土日に子どもを遊ばせる場所がない問題」というのがありまして。
若者たち40人くらいが集まった時に「陸前高田市には、雨の日などに子どもが遊べる場所がない」という声が上がったんです。その声を政策として提言しました。提言した結果、令和5年度から予算がついたり、週末の保育園の使い方などから着手するようになりました。
みなさん忙しい中時間を作って若者会議に参加してくださっているので、成果につなげられたことは、嬉しいですね。
ただの要望というだけでなく、今までは若者が思っていることを出し合える場がどこにもなかったので、「若者の声」として届けられたことが価値あることだと思います。
未来につながる街づくり:圧倒的な人手不足をどう解消するか
編集部:
これからの課題を教えてください。
木村氏:
人手不足の解消です。
一般的に「地方は仕事がない」という捉え方の方が多いと思います。確かにその面もありますが、全体と未来を考えれば「人手不足」は本当に深刻で今直ぐにでも取り組む必要があります。
また、「仕事がない」ではなく、「人手不足」ととらえたとき、多様な解決策を出すことができ、そこに活路を見出すことができます。
例えば、機械化できる仕事なのにアナログのままになっている仕事の見直し、障害者の方が活躍できる場づくりなどが挙げられます。さらに、3月はワカメ、6月はりんご栽培など、フレキシブルな働き方の推進なども同様です。
他には、人事の機能を企業ごとでなく組合的に持たせたいと考えています。
地方の企業では、新入社員が10年に1人ということも珍しくありません。せっかく入社した若者が、同期がいない環境で悩みを相談できなかったり、マネジメントが今の世代に合ったものに追いつかず、離職してしまうこともあります。
そうした問題解決としてメンターを別につけたり、相談できる場を作り、若者が気持ちよく働ける環境を用意したいと思っています。
編集部:
木村さんが掲げる「市民が主役のまちづくり」という点で私たちはどのような一歩を踏み出したらいいでしょうか?
木村氏:
高齢者の方へのお声がけや挨拶、健康でいるためのウォーキング、イベントへの参加などそれぞれの環境に合わせてやれることから始めていけたら、と思います。私は、みなさんが活動しやすくなるような場を用意していかなくては、と思います。
編集部:
最後に、休日のリラックス方法を教えてください。
木村氏:
たぶん下手くそなんですよ。休み方が。(笑)気がつくとずっと仕事をしています。
休日に妻が外に連れ出してくれるのでありがたいですね。カフェや県内の行きたいところなどに、日頃から調べて連れ出してくれます。
実はヤギを飼っていて、ヤギの散歩にも行きます。家の周りが草だらけなので飼い始めたんですけど、可愛いんですよ。(笑)
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