青木賢児氏死去 宮崎国際音楽祭を創設 90歳

 県立芸術劇場(宮崎市)の初代館長を務め、宮崎国際室内楽音楽祭(現・宮崎国際音楽祭)の創設に尽力した青木賢児氏が1日午前7時42分、宮崎市の有料老人ホームで死去した。90歳。宮崎市出身。葬儀は3日、近親者だけで行い、後日しのぶ会を開く予定。
 宮崎大宮高―東京大文学部を卒業後の1957(昭和32)年、NHKに入局。報道番組部長や専務理事などを歴任し、91年からNHK交響楽団理事長を務めた。93(平成5)年、県が置県100年記念事業として同年11月の開館に向けて整備を進めていた同劇場の館長に就任。2013年に退任し、14年からは名誉館長を務めてきた。
 同劇場の知名度向上のためN響時代の人脈を生かし、総監督として音楽祭の開催に心血を注いだ。「バイオリンの神様」と称された故アイザック・スターン氏と地道な交渉を重ね、96年の第1回「宮崎国際室内楽音楽祭」への招聘(しょうへい)に成功。その後もスターン氏は6回連続で出演したほか、シャルル・デュトワ氏やピンカス・ズーカーマン氏ら世界的に活躍する音楽家の協力を得て、宮崎国際音楽祭を国内有数の演奏会に育て上げた。
 同音楽祭総監督などとしての功績が認められ、06年度の県文化賞、09年度の第20回新日鉄音楽賞(現・日本製鉄音楽賞)特別賞を受賞。95年、宮崎日日新聞賞特別賞。宮日報道と読者委員会の委員を7期務めた。

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