松田次生「いろいろなことが頭の中を巡った」壮絶クラッシュと車椅子生活でのリハビリを経て復帰へ

 スーパーGT第3戦鈴鹿で大クラッシュに見舞われた23号車MOTUL AUTECH Zの松田次生が、第4戦富士で元気な姿を見せた。モノコック以外がすべて吹き飛ぶという大きなクラッシュから約2カ月、その時の状況、そしてリハビリについて聞いた。

「7月の中旬あたりまで入院していました」という次生。第3戦鈴鹿の決勝が行われた6月4日から、約1カ月半の入院生活を送るという大きなアクシデントとなってしまった。まずは次生の視点での、鈴鹿でのクラッシュの状況を振り返る。

「僕の中では(130Rを立ち上がった日立Astemoシケイン手前でGT300マシンを)抜けたと思っていたのですけど、3台並んだ状態になって、そこで僕がGT300に当たってしまった。(一番アウト寄りの)僕が寄せたわけではないのですけど、コースのレイアウト的に寄っていってしまったようになって、3台並んでいたことで真ん中のクルマの逃げ場もなかったと思いますので、ああいう形で交錯してしまいました。そこからはもうクルマのコントロールができない状態になって、クラッシュしてしまいました」と次生。

「その時のことは全部、記憶に残っています」と話すが、さすがにコクピットの中からだけでは、状況は把握し切れていなかった。

「飛んだのかどうかはわからなかったのですけど、とにかく衝撃が大きかった。着地した時には何が何だかわからなかった状況でした。何回転したのか、どういう形で自分が当たってしまったのかとか、そういうことはわからなかったですね。GT300と当たってスピン状態になったところまではわかっているのですけど、そこから先が(クルマの挙動が)早過ぎて、ガーンとクルマが着地して、大きい事故だったなと思いました。その時の衝撃が大きくて、自力ではクルマを降りられないくらいで、結構、いろいろな部分が痛かったです。骨が折れていたらヤバいなと、大丈夫かなという不安はすごくありました」

 コースマーシャルがすぐに駆けつけ、次生は救急車でメディカルセンターへ。そしてヘリで四日市の病院へと飛んだ。その時、次生はどのような気持ちだったのか。

「大きい外傷がないように祈っていましたね。とにかく痛かったので、普通では済まないだろうなとは思っていたのですけど、とにかくまたレースがしたいという気持ちがありました。復帰できるのかなとういう不安もあったし、いろいろなことが頭の中に運ばれてきて、巡っているような感じでした」

 そこから1カ月半に及ぶ入院生活となったが、その要因は両足付け根付近の筋断裂と、右足首の怪我だった。

「腰の部分にベルトをしているのですが、ぶつかった衝撃でベルトは体を抑えてくれていたけど、足が持ち上がってしまって、その付け根の筋肉が伸びて切れてしまいました。足首にも、わずかですが骨にヒビが入っていたので、ギプスをして固めたので、回復まで時間が掛かってしまいました。1カ月半くらい、その怪我を治す治療とリハビリ、そしてトレーニングを続けていました」

 今回のレースまでに回復させるために、次生と医療チームはリハビリを工夫してプランを組み立てた。

「8月のこのレースに復帰するために何が最適なのかを相談して、足の筋断裂に関してはこれくらいの期間だったら筋肉がつくだろうという予定を立てながら進めていて、とにかく3週間は動かさないという制約がありました。そこから少しずつ動かしていきました」と次生。

「それでも自分では歩けない状態で、右足もギブスが付いて自由が効かない状態で、車椅子を使っていました。足を使えない時は、手で漕ぐ自転車のようなトレーニングで体力を付けていました。僕がいつも通っている病院でのトレーニングがあったので、病院の施設だけだと回復も遅かったと思うのですけど、復帰に向けてのジムでのトレーニングが必要だったので、入院していた病院にもお願いをして、医療チームと復帰に向けたリハビリのチームがうまく連携を取ってくれて車椅子でも体力を落とさないようなトレーニングやリハビリを続けました」

 そのおかげで、「最終的に、左足に関しては自分のベストのウエートトレーニング、ほぼ100パーセントに筋力は戻っている感じです。右はギプスをしていた期間があったのですけど、それでも半分以上、戻っています。右足ブレーキだったらヤバかったです(笑)。体調的にはベストから100パーセントと言ったら嘘になりますけど、70〜80パーセントくらいには回復してます」までの回復を見せるに至った。

 そしてこの期間には、ほぼ同世代であり何度も好バトルを演じ、スーパーGTで最多勝を争っているライバルの立川祐路が引退を発表した。

「立川選手の速さと強さは昔からわかっていました。年齢は48歳ですか(次生は44歳)。いずれ自分もそういう時期が来るというはわかっていますけど、まさか、まだ今も速さがある中で引退されるというのは驚きました。立川選手とは2005年の富士でのバトルでラストの2周くらいのところで負けて、悔しい思いもしていますので、いいライバルでもあり、お互い切磋琢磨して戦ってこれたのかなと思ってます。自分から引退できるドライバーって少ないと思うので立川選手のように『引退をします』と公言して辞められる、そういうドライバーに僕もなりたいなと思います」と次生

 サーキットが凍りつくような大クラッシュから2カ月、さまざまな思いを乗せて、今週末の富士で松田次生と23号車が復帰レースに臨む。

搬入日にドライバー交代の練習を行った松田次生(MOTUL AUTECH Z)
シケイン入口で大クラッシュに見舞われた松田次生ドライブの23号車MOTUL AUTECH Z

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