ナチス強制収容所の知られざる実話を映画化『アウシュヴィッツの生還者』

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主演のベン・フォスターが異次元の肉体改造で挑んだ 渾身の衝撃作

ナチスの将校たちがぐるりと囲むリングに放たれた一人のボクサー。骨と皮だけのやせ細った身体には、無数の傷や痣、どす黒い血がまとわりついている。無表情にも見える瞳の奥には野獣のような険しさと深い悲しみが交錯し、私たちに何かを訴えかける。

ナチスの非道に終止符が打たれてから78年。耳を疑うような驚くべき実話が『アウシュヴィッツの生還者』(8月11日より全国順次公開)として映画化された。

主人公のハリー・ハフトを演じたのは、『ダ・ヴィンチ・コード』シリーズの第3作『インフェルノ』の敵役で高く評価されたベン・フォスター。監督は『レインマン』でアカデミー賞(R)監督賞、ベルリン国際映画祭金熊賞に輝いた名匠バリー・レヴィンソン。フォスターは、被収容者の過酷な状況を体現するため、28㎏もの減量に取り組み、戦後シーンの撮影時にはまた元の体重に戻すという渾身の役作りで制作に臨んだ。

子どもから大人まで110万人以上の人々が犠牲になったといわれるナチスの強制収容所で、彼はなぜ生き残ることができたのか。その全貌を見届けてほしい。

<STORY>

1949年、ナチスの強制収容所から生還したハリー・ハフト(ベン・フォスター)は、アメリカに移住し、「ポーランドの誇りにしてアウシュヴィッツの生還者」を売り文句に、ボクサーとして活躍していた。

13勝という輝かしい成績を上げたハリーだったが、やがてアウシュヴィッツ時代の恐ろしい記憶のフラッシュバックに苦しむようになり、6連敗を記録してしまう。そんなハリーは、ボクシングに取り組む一方で、生き別れになった恋人レア(ダル・ズーゾフスキー)を探し続けていた。

記者の取材を受けたハリーは、レアに自分の生存を知らせるため、これまで決して打ち明けることのなかった真実を告白する。 「自分がホロコーストを生き延びることができたのは、ナチスの将校たちが主催する賭けボクシングで、同胞のユダヤ人と闘って勝ち続けたからだ」と。

そのニュースは新聞に掲載され、世間を騒がせたが、レアを見つけることはできなかった。

彼女の死を確信したハリーは引退を表明。それから14年後、別の女性と結婚し、新たな人生を歩んでいたハリーのもとに、「レアが生きている」という報せが届く──。

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ボロボロの身体でリングに立ち続けた理由

本作の映像では、強制収容所の凄惨な状況や緊迫感あふれるボクシングの場面が印象的だが、すべてのシーンでレヴィンソン監督が描こうとしているのは、究極のヒューマンドラマだ。

ナチスの中尉が娯楽として主催する“賭けボクシング”で、同胞であるユダヤ人との闘いを強いられるハリー。対戦相手となった親友ジャン(ペペ・ミラー)が、リング上でハリーに「ナチスに殺されるのはいやだ。友人である君に殺されたい。頼む」と懇願するシーンは、観る者の胸を締めつける。

ボクシングの敗者は、将校によって即座に射殺されるという非道極まりないルール。つまり、ハリーが試合で勝つことは、仲間の死を意味するのだ。これほど残酷な仕打ちがほかにあるだろうか。

ユダヤ人としてのアイデンティティも大切な仲間も失い、精神的も身体的にもボロボロに打ちのめされながら、なぜハリーはリングに立ち続け、生き残ることができたのか。

かつて筆者が新聞記者として活動していたころ、ホロコーストに関する取材を通して「生き延びた人々の多くが、揺るぎない使命感を持っていた」という話を耳にした。

どれほど過酷な状況であろうとも、ハリーを奮い立たせ、支え続けたのは、生き別れになった恋人レアに会いたいという揺るぎない愛と使命感だ。

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生還者とともに生きる

戦後、アウシュヴィッツから生還者しアメリカに渡ったハリーは、ボクシングの選手として活動しながら、ともに収容所に送られた後、消息不明となったレアを探す。そんなハリーに親身に寄り添い、一緒にレアの行方を探そうと力になってくれたのが、ミリアム(ヴィッキー・クリープス)という女性である。

しなやかな強さと優しさをたずさえたミリアムの一挙一動には、ハリーだけでなく、視聴者である筆者もハッとさせられた。アウシュヴィッツ時代のつらい過去のせいで自暴自棄になり、周りが見えなくなっていたハリーに対し、ミリアムはただ泣きながら同情するようなことをしない。

彼の目をまっすぐに見ながら「生還者なら、人の善意を踏みにじることが許されるの?」と、問題の本質を伝えようとする。そんなミリアムに、ハリーは少しずつ心を開いていく。

ミリアムを演じたヴィッキーは、「ミリアムは現代的な魅力をもつ女性。彼女は、こう考えている。“私がここにいるのは、あなたのためだけではない。私がここにいたいからでもある”って」と語る。

ただ同情したり共依存したりするだけの関係は、真の愛ではない。相手の過去も悲しみもまるごと受け入れ、未来への道をともに模索しながら歩むこと。それが愛するということなのだ、とミリアムは言葉や行動で示してくれる。

本作は、過酷な状況を生き抜いた被収容者ハリー・ハフトの戦争物語であるだけでなく、生還者とともに生きる一人の女性、ミリアムの物語でもあるのだ。

文:小川こころ(文筆家/文章スタジオ東京青猫ワークス代表)

<作品データ>監督:バリー・レヴィンソン( 『 レインマン 』『 グッドモーニング,ベトナム 』)
出演:ベン・フォスター ヴィッキー・クリープス ビリー・マグヌッセン ピーター・サースガード ダル・ズーゾフスキー ジョン・レグイザモ ダニー・デヴィート
2021/カナダ・ハンガリー・アメリカ/英語・ドイツ語・イディッシュ語/129分/カラー/スコープ/5 5.1ch/
原題:THE SURVIVOR/字幕翻訳:大西公子/映倫区分:G 提供:木下グループ 配給:キノフィルムズ
公式サイト:https://sv-movie.jp

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小川こころ

小川こころ(文筆家/文章スタジオ東京青猫ワークス代表)

「書く、読む、飲む」が何より好きな、もの書き屋。福岡県生まれ。

2021年に『ゼロから始める文章教室 読み手に伝わる、気持ちを動かす!』(ナツメ社)を出版。

大学卒業後、楽器メーカー勤務を経て、全国紙の教育部門に所属する新聞記者として、小学生新聞に携わる。”エンタメ担当“を公言し、映画や演劇、音楽、アートにまつわる取材やインタビュー記事の執筆に奔走する。その後広告会社にてコピーライター職を経験し、独立。「文章スタジオ東京青猫ワークス」を設立し、文筆活動や講師活動に力を注ぐ。

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