JR神戸駅、かつては乗降車で違った改札 駅の構造、神戸ハーバーランドの街開きも影響 3本並ぶ丈夫な柱の意味は…

3本ずつまとめて立っている柱。これには意味がある=中央区相生町3、JR神戸駅

 今から約90年前の1930年代、神戸駅は高架化に伴って2代目から現在の3代目へと駅舎が変わった。この移設に伴い、それまで湊川神社と対面していた駅の正面出入り口が、少し元町方面(北側)にずれた。この3代目駅舎は、改装などはしているものの今も現役。ただ、当初の構内は今とだいぶ違ったという。

 「乗車用と降車用の改札がそれぞれありましてね。乗車用はかなり元町寄りにあったようです」。鳥瞰図(ちょうかんず)絵師の青山大介さんが、昭和30年代の駅の立体図を示しながら教えてくれた。青山さんは当時の資料を基にこの図を制作した。

 現在も改札口は2カ所あるが、中に入ると合流する。かつてはそうではなく、二つは全く別の場所にあり用途も異なっていたという。この乗車用と降車用で改札が分かれるスタイルはやがてなくなったが、その後もかなり元町寄りの改札の方がメインだったようだ。当時を知る人に話を聞くと「電車に乗るときホームの端に上がっていくようだった」と振り返る。

 JR西日本によると、これがほぼ現在の形になるのは1992年のこと。神戸ハーバーランドの街開きに合わせて、改札口を今の中央口一つだけにしたという。当時は「ビエラ神戸口」と呼ばれる改札はなく、こちらは2003年にできた。ほかにはエレベーター設置などを除いて大きな改修はないという。

 青山さんが制作した先の図面を見ると、現在の「プリコ神戸」の玄関辺りで改札に入り、そこからさらに元町方面へ階段を上がっていったかつての状況が分かる。こうした場所の偏りも、前回紹介した正面出入り口のずれと同じく「2代目駅舎をよけながら高架駅の工事をしたからではないか」とのこと。

 そんな話をしながら駅構内を歩いていると、青山さんが「これの意味が分かりますか?」と柱に手を当てた。3本まとめて立ち、間隔があってまた3本がかたまっているように見える。ただ、意味となると全く分からず、柱の存在を意識したことがほぼない。首をかしげていると、青山さんは「高架ならではですよ」と天井を見上げた。

 「柱のない場所の上がプラットホームになります。数百トンの鉄道が走るには丈夫な柱が必要ですので」

 知っている人にとっては当然かもしれないが、新鮮な驚きだった。そうすると、柱全体で線路の上を支えているというわけか-。

 構内を元町側から兵庫側へと歩いてみた。店舗が多くさまざまに装飾はしているが、見事なまでに柱が3本ずつ平行して立っている。この上を電車が走っているなど考えたことがなかった。

 以後、神戸駅以外でも高架駅の柱を見るたびに「プラットホームがここで、電車がこう走っていて…」と想像するようになった。高架駅を利用する皆さんも、どうぞ。 (安福直剛)

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