震源地近く、小田原の被害伝える 市に寄贈の写真を70年経てお披露目へ

現在の小田原市立三の丸小学校付近。大島氏は「ここから西はつぶれたままで助かった」と記している(同市提供)

 関東大震災で震源地に近く、4千人以上が死傷するなど特に被害の大きかった小田原中心部の被災状況を撮影した写真が22日から小田原市立中央図書館(同市南鴨宮)で展示される。当時のアマチュア写真家が撮影したもので70年前に200点以上が市に寄贈されたものの、長らく“お蔵入り”状態だった。震災から100年を迎え、小田原の被害を伝える貴重な資料が市民に初めてお披露目されることになる。

 震源は諸説あるが県西部内陸とみられ、小田原市史には「6割以上の全壊・半壊家屋を生じ、後大半焼失せり」とある。県警の調べでは現在の小田原市域で約8千戸が全半壊、2千戸以上が焼失し、死者1299人、負傷者3390人に上ったという。

 市内の被災状況を撮影したのは、市内の十字4丁目(現在の南町)に住んでいた大島環氏=当時(29)=。陸軍大将大島久直を父に持ち、カメラ雑紙に寄稿するなどアマチュアカメラマンとして活躍した。震災翌日の1923年9月2日から同年11月まで街の復旧の様子や人々の生活ぶりを約200枚写し、日付などのメモ書きとともに残した。

 震災直後から小田原城周辺の崩れた家屋や畳を敷いて避難している人々、混乱の中でも元気よく遊ぶ子どもたちを撮影。震災の火災で焼け野原となった市街地を回り「ずっと見渡す限り焼け果てて家らしいものは全くない。恐ろしい」と心境をつづっている。

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