少年が握った手

 作家の大田洋子さんが残した広島原爆の記録「屍(しかばね)の街」には酸鼻を極めた描写が多いが、胸を突かれる場面もある。被爆から3日後、大田さんは広島市から避難するバスで10歳くらいの少年と乗り合わせた。頭に巻いた布には血がにじんでいる▲少年はこう語る。原爆で家が倒れ、両親と姉の3人が下敷きになった。がれきからのぞいた手先、足先を引っ張っていたが、火の手がそこまで迫り、母が「早くお逃げ」と言った。独りぼっちになったので、祖母の元へ行こうと思う、と▲必死で指先を握った感触が、少年の手から消えることはなかったろう。わが子の手をふりほどくようにして発したはずの「お逃げ」のひと言は、少年の耳の奥で鳴り続けただろう▲親子が手を握り合う光景とは本来、「平和であること」をそのまま絵にしたようなものに違いない。それが、がれきからのぞいた手を、小さな手が一心に握る光景になれば、悲痛な別れの場面に一変する▲炎に包まれる家族を背にして一目散に駆けたはずの少年は、それからどう生きたのだろう。もし存命ならば90歳に近い▲失礼ながら「もし存命ならば」と書いた。そう仮定せざるを得ないのが、あの日から78年という歳月の現実でもある。被爆者の平均年齢は85歳を超え、炎天の広島原爆の日が巡ってきた。

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