超レア?小磯良平はその場で絵の誤りを修正した 高砂で描いた水彩画5点、ついに神戸へ里帰り

尉が持つ熊手の上には白い紙が貼られており、修正の跡が残っている=高砂市内

 昭和を代表する洋画家小磯良平(1903~88年)が兵庫県高砂市で描いた水彩画5点が、所有する高砂市観光交流ビューローの手を離れ、将来的な作品公開を見据え、神戸市立小磯記念美術館(同市東灘区向洋町中5)にこのほど預けられた。夫婦和合や縁結びの神「尉(じょう)と姥(うば)」の御神像のほか高砂の松並木などが、伸び伸びとしたタッチで描かれている。(笠原次郎)

 小磯は神戸市内で生まれ、東京美術学校(現東京芸術大学)で学んだ。フランス留学などを経て、優美な女性像を数多く制作し、国民的な画家となった。

 1965年には高砂市観光協会に招かれ、同市内の名所を2日間かけて回った。伊保港や竜山、鹿島神社の参道などを画題に絵はがき用の水彩画5点を描いた。作品の保管には湿気の調整など難しさがあるため、同協会を引き継いで2017年9月に発足した市観光交流ビューローがこのほど、同美術館に5点を預けた。

 市観光交流ビューロー初代理事長の西中亮二さん(77)によると、小磯が描いた尉と姥の御神像には間違いがあったという。尉は熊手を、姥は竹箒(たけぼうき)を手にしているが、水彩画ではそれぞれ逆に描かれていた。受け渡しの場で、高砂の関係者から指摘された小磯はすぐさま、白い紙を上から貼るなどして該当部分を描き直した。小磯に動揺した様子はなかったという。

 西中さんは「小磯画伯に間違いを指摘するのは勇気がいったと思う」とする一方、「ただ御神像は高砂の宝物。地元住民としてはそのまま受け取るわけにはいかなかったのでしょう」と話している。

 制作から60年近くを経て、作品は「里帰り」した形になる。同美術館学芸担当係長の廣田生馬さん(56)は「尉と姥の御神像からは的確なデッサン力がうかがえる。風景画4点は伸び伸びとしたタッチで描かれ、色使いがきれい」とコメント。絵の質を保って後世に伝えるため、虫やカビを取り除く処置を施した。

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