《関東大震災100年》絶やさぬ鎮魂の火 茨城・筑西で灯篭流し 地元住民ら犠牲者供養

勤行川に灯籠を浮かべる住民たち=筑西市丙

死者・行方不明者が10万人を超えた関東大震災(1923年)の発生から100年を迎える中、犠牲者を供養するため始まった茨城県筑西市の灯籠流しが、今も地元住民の手で受け継がれている。今年も市中心部を流れる勤行(ごんぎょう)川で5日開かれ、万霊を供養する灯籠が流された。人手不足で規模縮小を余儀なくされたが、主催する自治会は鎮魂のともしびを絶やさぬよう力を注ぐ。

勤行川に架かる大橋の上流。地元住職が読経をささげると、陽光きらめく川面に灯籠が放たれた。

「うまく流れました」。灯籠流しを主催する金井町自治会の小嶋勝五郎会長(63)は目を細めた。

灯籠流しが始まったのは、関東大震災が発生した翌年の24年。商人が集まる同町の有志が立ち上げたと伝わっている。

防災白書によると、関東大震災は23年9月1日午前11時58分、相模湾北西部を震源に推定マグニチュード7.9の地震が発生。建物の倒壊や火災、津波などの被害が広範囲に及んだ。県内は住宅483棟が全半壊し、5人の死者・行方不明者を出した。

被害は金井町がある下館町(現筑西市)にも及んだ。発生翌日付の本紙「いはらき」は「23の家屋倒壊」を伝える記事を掲載し、製糸会社の乾燥場をはじめ、下館駅に近い大町通りの銀行や呉服店、倉庫などを取り上げた。

犠牲者供養で始まった灯籠流しは戦後、戦没者供養のため、毎年8月の第1土曜日の夜に移行。やがて万霊を供養し、市観光協会が後援する夏の一大行事となった。

「私が小さい頃は近くで花火が上がった」と小嶋会長。川岸にはあんどんがともり、灯籠を流しやすいよう桟橋も整備され、千を超える灯籠が川面を埋めた。

しかし、金井町では近年、人口減少の影響で担い手不足が顕在化。新型コロナウイルス禍の中止を経た98回目の今年は、事業継続を最優先に規模縮小を余儀なくされた。住民だけの参加とし、観光協会の後援も受けないことになった。

この日は経木(きょうぎ)を使った手作りの灯籠を新たに用意し、集まった住民約20人が手を合わせた。

灯籠流しを長年支える大畑芳道さん(54)は「有志で行っていた昔の形に戻り、現実と向き合いながら維持していく」と思いを語った。

灯籠流しは2年後、100回の大きな節目を迎える。小嶋会長は「続けられるうちはずっと続けていく」と前を向いた。

© 株式会社茨城新聞社