【92歳の被爆者】G7広島サミットで海外記者に証言 語り続ける思い

【92歳の被爆者】 語り続ける思い

G7サミットは体験を語り続ける被爆者にどんな影響を与えたのでしょうか。サミットの期間中、取材に訪れた各国の記者に体験を語った92歳の被爆者の男性は、広島・長崎で起きたことを広く知ってもらいたいと証言活動を続けていく決意です。

■山本定男さん

「広島二中では2年生は助かったけど1年生は爆心地に一番近い所に集まって、まさに全滅みんな亡くなっちゃった」

山本定男さん、92歳。10年ほど前から被爆体験を証言する活動をしています。

7月、県立広島観音高校の生徒たちに体験を語りました。山本さんは観音高校の前身、県立広島第二中学校の2年生のときに被爆しました。

爆心地から2・5キロ。山本さんたち2年生は広島駅の北側で草取りをするため集合していました。

■山本定男さん

「大爆発なんと表現したらいいか、巨大な岩が一瞬にして砕け散るような、ぐあーんという音と同時に吹き飛ばされてしまいました」

「広島駅の方向に巨大な火炎がものすごい勢いでわき上がっておりました」

平和公園の西側にある広島二中の慰霊碑。当時、この付近で建物を解体する作業をしていた1年生およそ320人は、全員、亡くなりました。山本さんたち2年生は前日に同じ作業をしていました。

■山本定男さん

「前の日に私はここにいた。1日違っているとここで死んでいるんですよ。みんな2年生はね、1年生が身代わりになったという人もいる。それからなんとなく心にいつまでも引っかかる」

5月のG7広島サミットでは各国の記者たちの取材拠点となる国際メディアセンターで証言しました。当時の体験や、全滅した1年生のことなどを語りました。

■フランスの記者

「みんな年齢が高くて今のうちに聞かないといけないと思います。そのチャンスは後ではこないから」

山本さんはG7サミットで各国の首脳たちが被爆地を訪れたことは意義があったと前向きにとらえています。

■山本定男さん

「自分たちが感じたことを実際にその国の人にも知ってもらうことが非常に重要と思うので、広島・長崎の原爆展なんかどんどんやってくれんかなと期待している。サミットに来てもらったということは、これはちゃんと広島の人もいかしていかないといけない」

今回、山本さんのサミットでの活動を知った高校が証言を依頼しました。山本さんが伝えたかったのは、78年前に広島に何が起きたのか。そして、最後に被爆者としての願いを母校の後輩たちに託しました。

■山本定男さん

「これから広島の願い、長崎の願いぜひみなさんの世代で思い続けて世界の人に核兵器をなくしていこうやと、世界を平和にしていこうということで頑張っていただきたいと思います」

■生徒

「8月6日や8月9日に起きたことがどれだけ恐ろしいことかを感じ、私たちが核廃絶に向けて声を上げていかないとと思いました」

「山本さんが話したことをまた次の世代に語り継いでいけれたらなと思います」

78年前、たった1日の違いで亡くなった1年生たちのためにも・・・。92歳の被爆者が語り続けます。

■山本定男さん

「やっぱり若い人をみれば元気がでるよね。ははは」

「元気なうちになんとか頑張ろうという気持ちは持っています」

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