批判逆手に取った「バイデノミクス」中間層重視の新スローガンは有権者に響くか? シカゴで見た熱狂と貧困【2023アメリカは今】

シカゴの会場でバイデノミクスについて演説するバイデン米大統領=6月28日(共同)

 バイデン米大統領が2024年11月の次期大統領選を見据え、中間層を重視した経済政策「バイデノミクス」を新たなスローガンとして打ち出している。もともとは物価高騰などを招いた現政権を批判するために使われた言葉だったが、その「知名度」を逆手に取り、経済格差是正を目指す現政権の姿勢を打ち出した格好だ。

 だが、鳴り物入りの看板政策には低所得層から冷ややかな視線も注がれる。次期大統領選に向けた準備が早くも本格化する中、“格差を是正して中間層の再生を図る経済政策”に追い風が吹くのか、シカゴの町を歩いた。(共同通信ワシントン支局 金友久美子)

 ▽トリクルダウンは失敗
 バイデン氏が6月28日、「米国投資ツアー」と銘打った一連のキャンペーン演説の会場に選んだのは、中西部イリノイ州シカゴ市の中心部にある旧郵便局庁舎だった。会場には白人や黒人、アジア系、ヒスパニック系など多様な人種の支援者200人ほどが集まっていた。

シカゴの中心部。カナダの山火事でもやに覆われていた=6月27日(共同)

 80歳の大統領には健康不安が日々ささやかれるが、この日は支持層を前に意気軒高な様子。演説の冒頭では、1916年出版の「シカゴ詩集」で労働者階級の勤勉さや苦難を代弁した詩人カール・サンドバーグの詩を引用し「この都市をつくり、中間層を築いたのは労働者階級だ」と語気を強めた。中でも強調したのが、富裕層や大企業が潤えば、富が上から下にあふれ落ちるように低所得者層にも恩恵の滴が行き渡るとする経済理論「トリクルダウン政策」の失敗だ。

 ▽富裕層減税「米国を駄目にした」
 トリクルダウン理論では、例えばレーガン元大統領が進めた富裕層減税などを柱とする経済政策が「レーガノミクス」として知られている。日本でも、2012年に始まった第2次安倍政権において当初、政策ブレーンらが企業収益の改善を通じて消費拡大を目指す「アベノミクス」をトリクルダウン理論に基づく政策として提唱した。

 一方で、格差が広がっても経済成長によって全体の底上げが実現できるというこの仮説は近年、経済協力開発機構(OECD)などの国際機関や多くの研究者によって否定的な見解が相次いで示されている。

 この日の演説でバイデン氏は2兆ドル(約280兆円)規模の企業・富裕層減税を推し進めたトランプ前大統領の経済政策を「失敗だった」と一刀両断。決めぜりふで使うお決まりのささやき声で「バイデノミクスとは『アメリカンドリームを取り戻せ』という別の言い方にすぎない」と言い切ってみせた。

 大きな拍手を送っていた聴衆の一人、シカゴ市のマヤ・グリーンさん(45)に話を聞くと「共感できるメッセージで、多くの人に語りかける良い演説だったと思う」と高揚した様子。医療関係の仕事に携わっているといい「食料や医療など弱者への救済策を広げるリーダーはバイデン氏しかいない」と熱弁を振るった。

シカゴで支持者に手を振るバイデン米大統領=6月28日(共同)

 ▽「オバマケア」では成功
 バイデン氏には成功体験がある。副大統領だったオバマ政権時代、公的補助を通じて国民に保険加入を義務付ける医療保険制度を野党共和党は横暴な政策だとして「オバマケア」と名付けて批判キャンペーンを展開した。だが、政権側は低所得者をはじめ幅広い階層へ恩恵がある政策名として活用。現在では、与党民主党の社会保障への積極姿勢を示す重要なキーワードとなった。

 バイデノミクスの場合も、当初は米紙ウォールストリート・ジャーナルなどが物価高騰を招いたバイデン政権の経済運営をやゆしたり、批判したりするために用いた。これをバイデン氏は自らの経済政策をアピールする象徴として転用した。

 大統領の名前とエコノミクス(経済学)を合わせた造語では、かつても「レーガノミクス」のほか、「クリントノミクス」などがはやった。名字が「n」で終わると語呂合わせが良くなり浸透するとの指摘もあり、経済重視のイメージを打ち出したいバイデン(Biden)氏には渡りに船だったかもしれない。

シカゴの演説会場に飾られたバイデノミクスの看板=6月28日(共同)

 ▽国民目線アピールも不人気?
 では、バイデノミクスとは何か。バイデン氏は具体策として(1)米国内での投資促進(2)労働者の権利拡大や能力向上(3)競争促進によるコスト引き下げ―の3本柱を掲げる。

 医薬品の価格抑制のほか、チケットや航空券などの手数料削減といった家計負担軽減に取り組み、政権の目線の低さをアピールする。投資促進では既に超党派で老朽化した道路などを整備するインフラ投資法や、半導体投資法などを成立させた。北米製の電気自動車(EV)に優遇策を設け、支持母体である労働組合への目配りも強めている。

 ただ、国内投資の拡大や雇用創出などは、与野党問わず総論賛成な政策。説明すればするほど「バイデノミクス」には何もかもが含まれ、結果的に、何でもないスローガンに見えてくる。その原因は、トリクルダウン理論に対して突きつけたはずの「公正さ」の実現がかすんでいるためではないだろうか。経済格差の是正策では、過去2年で言いっ放しになっている大企業や富裕層への増税にとどまり、不十分さが否めない。

シカゴ市民が集まるナイトクラブ=6月27日(共同)

 シカゴ市内のナイトクラブに足を延ばすと、弟や兄と遊びに来ていた男性(62)に話しかけられた。「バイデノミクスはどうか」と問うと、「期待できない」とばっさり。エリート臭が強いとやゆされる現政権への距離感は拭えず「正直、トランプ前大統領のほうが言っていることが分かりやすくて支持しやすかった」と肩をすくめた。

 ▽こぼれ落ちる人々
 米国での所得や富の格差は長期間にわたって広がっている。世界不平等データベースによると、米国の税引き前所得について上位1%の超富裕層が占める割合は、1971年に11・1%であったのが、2021年には19%に増加した。対して所得下位50%の層は20・4%(1971年)が13・8%(2021年)と減少し、状況は50年で「X」字を描く形で逆転した。

 経済のIT化で巨大企業や一部の経営層に富が集まりやすくなった反面、新型コロナウイルス禍での支援策打ち切りや家賃高騰により、大都市部では路上で暮らす人の姿が如実に増えている。

シカゴを走るバイデン大統領らの車列。歩道には見物客が大勢集まっていた=6月28日(共同)

 シカゴでも傾向は顕著だ。6月28日の演説会でバイデン氏を包んだ熱狂の輪のわずか数十メートル先の歩道では、車いすに座るリービス・ハーヴェスさん(33)が、友人のベロニカ・ファガーソンさん(29)と赤い傘をひっくり返し、施しを求めていた。ハーヴェスさんは家族の生計を支えた父を10代で亡くし、自身も感染症による骨髄炎で体調が悪化。働ける状況ではなくなった。両手は腫れ上がり、手足を動かすのが不自由だという。握手に差し出した右手の皮膚ははがれ、白くなっていた。「骨や神経が損傷して、手足が機能しなくなるんだ」。肺炎にもかかったといい、日常生活では常に落命の危険と隣り合わせだと言う。

 「父が亡くなってからずっと路上で暮らしている。兄弟も最近死んでしまった。肺炎は病院で抗生物質を投与してもらって、どうにか生き延びたが…」。先々への不安は大きい。「ベストを尽くしているが、路上で生き残れるようにするので精いっぱい」。「夢は?」と聞くと、「自分の足で立ち直りたいし、他のホームレス状態の人々を助けるようになりたいね」と静かに語る。

 ▽「民主党も共和党も応援しない」
 政治への関心も強いハーヴェスさんだが、バイデノミクスが自身の境遇改善につながるとの期待はないと言い切る。「実際に何かに立ち向かえるとは思えない。どこまで本気なのか」と疑問を口にする。

 隣で取材に応じたファーガソンさんは幼いころに虐待を受けたという。ホームレス状態になってからは住宅支援を受けようとする過程でアパート管理人から性行為を強要された。路上での生活は丸4年となり、別れて暮らす「子どもを取り戻したいだけ」。しかし「助けを必要としても権力を握る人たちは答えてくれない」と悲観も強い。取材の合間にも、通行人から罵声を浴びせられ、「民主党も共和党も応援しない」と涙をこぼした。

シカゴの路上で取材に応じるハーヴェスさん(右)とファガーソンさん=6月28日(共同)

 ▽踏み込み不足の「新しい資本主義」
 日本にとっても貧富の格差拡大は喫緊の課題だ。岸田文雄首相は就任時に「新しい資本主義」を掲げたが、踏み込みは弱く、安倍政権が掲げたトリクルダウン政策である「アベノミクス」の影がいまだ色濃く残る。トリクルダウンを痛烈に批判するバイデン氏ですら、対抗策はあいまいなまま。「こぼれ落ちた」人々へ政治が希望を示していけるのか問われている。

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