【今週のサンモニ】勘違いで「核抑止」を徹底否定|藤原かずえ 『Hanada』プラス連載「今週もおかしな報道ばかりをしている『サンデーモーニング』を藤原かずえさんがデータとロジックで滅多斬り」、略して【今週のサンモニ】。さて今週は……。

核廃絶が論理的に可能となる条件

2023年8月6日放映の『サンデーモーニング』は「風をよむ」のセグメントで原爆の日を特集し、合理的根拠もなしに【核抑止 nuclear deterrence】を徹底的に否定しました。詳しく見て行きましょう。

アナウンサー:今日広島は78回目の原爆の日を迎えました。しかし世界は今、核なき世界の理想から益々遠のきつつあります。(中略)

核兵器を相互に持つことでその使用を防ぐことができるとする核抑止論。松井広島市長はそれが既に破綻しており脱却が重要だと訴えました。一方で岸田総理はG7広島サミットの成果を強調しました。(中略)

この場で出された広島ビジョンには「核兵器はそれが存在する限りにおいて、防衛目的のために、役割を果たし侵略を抑止」とありました。この状況に対し、被曝者団体からは「核抑止論を肯定し、核兵器なき世界への道筋を示さなかった」といった批判の声が上がったのです。

式典で挨拶をする岸田総理

「核兵器を相互に持つことでその使用を防ぐ」という考え方は不合理です。

核抑止とは、実質的には、【ならず者国家 rogue state】【力ずくの暴力 brute force】としての核兵器を使用させないために、西側諸国が【強制力 coercion】としての核兵器による【威嚇 intimidation】を行っているものです。警察官が犯罪を抑止するために銃で威嚇するのと同じです。

「ならず者国家」の定義には論争がありますが、基本的には国際規範に挑戦し、大量破壊兵器の取得やテロ支援などで他国を【脅迫 threat】する【権威主義国家 authoritarian state】です。

その典型例が、核廃絶したウクライナに侵攻した核保有国のロシアです。全世界の「ならず者国家」の核攻撃を無効化する手段が見つからない限り、市民防衛のための強制力は必要となります。

勿論、大量殺戮を行う兵器である核兵器を使用することは戦争犯罪に他なりませんが、現在、これに代わる【懲罰的抑止 deterrence by punishment】の方法はありませんし、核攻撃を完全に無効化する【拒否的抑止 deterrence by denial】の方法もありません。

ここで、懲罰的抑止とは、反撃能力の圧倒的な高さを攻撃国に認識させて攻撃を思いとどまらせることを指し、拒否的抑止とは、防衛能力の圧倒的な高さを攻撃国に認識させて攻撃を思いとどまらせることを指します。

核廃絶が論理的に可能となるのは、「ならず者国家」の独裁支配者を確実に制裁可能なピンポイントの攻撃技術(懲罰的抑止)、あるいは「ならず者国家」の核攻撃を確実に無効化することが可能な防衛技術(拒否的抑止)を、【文民統制civilian control】が完全に確立した【民主主義国家 democratic nation】が手に入れた時です。

都合のいい人間を偶像化

アナウンサー:実際、現実は「核なき世界」とは程遠い状況に向かっています。プーチン大統領は6月、ベラルーシに核配備を始めたと欧米を牽制。

また先月30日、モスクワ中心部にドローンが飛来し、ビルの一部を破壊。こうした状況にメドベージェフ前大統領は「ウクライナの反転攻勢が成功し、ロシア領土の一部を占領するなら、核兵器を使うことになる」と警告しました。

一方、朝鮮半島では、先月、核兵器を搭載可能な米軍の原子力潜水艦が42年ぶりに韓国に寄港。これに北朝鮮は「核兵器の使用条件に該当しうる」と猛反発。長距離核攻撃に繋がる新型ICBM、大陸間弾道ミサイルの発射実験を繰り返しているのです。

基本的に核兵器で脅迫を行っているのはいずれも「ならず者国家」です。科学技術に頼らずに核兵器の使用リスクを低下させるには、「ならず者国家」の国家体制を、文民統制が確立した民主主義体制に変容させることです。勿論、「ならず者国家」の独裁者にとって、体制維持は最優先事項であるので、このことには高いハードルが存在します。

アナウンサー:核抑止どころか核使用の脅威が高まりつつある世界。こうした中、木曜日、35度に達する猛暑の中、国会前に高齢者ら120人ほどが岸田政権に抗議して集まりました。彼らは被爆国日本の現状について「日本はアメリカの傘に隠れている。それで核廃絶を言っても世界は納得しない」「日本は何も実質的に核廃絶の動きをしようとしていない恥ずかしさを凄く感じる」この参加者の中に現在92歳、戦争の悲劇を描いた数々の作品で知られるノンフィクション作家の澤地久枝さんの姿もありました。

澤地久枝氏:この間、サミットを広島で開催したが、なぜ核兵器は一切やめるという結論に行かなかったのか。武器を持たない、戦争しない国が一つでも増えれば、それだけ戦争というものが遠ざかる。そういう呼びかけの役割を日本はしなければならない。今、非常に大事なところにいる。

関口宏氏:澤地さんはお元気そうだった?

アナウンサー:炎天下の中、たくさんの高齢者の方が声を上げている姿がとても目に焼き付いています。

以上のやり取りは『サンデーモーニング』が得意とする特定の政治的主張を持つ集団の【偶像化 idolization】に他なりません。

言論において、論理的判断の対象になるのは、主張の合理性や蓋然性ですが、『サンデーモーニング』はしばしば、番組の論調と合致する政治的主張を持つ人物の人格をドラマティックに演出します。今回の場合は、暑さというハンデに立ち向かいながら核廃絶の声をあげる高齢者です。

人間は努力をする人間に好印象を持つという傾向がありますが、このバイアスを利用してその主張を正しいものであるかのように誘導する印象操作を【努力に訴える論証 notable effort】と言います。

客観的に見れば、彼らの主張は前提から結論を導く【論証 argument】ではなく、「核廃絶」ありきの個人の倫理的価値観を強要する【言説 statement】に過ぎません。日本が米国の核の傘の下にいるのは、現実社会における国民のセキュリティを確保するのが目的であり、その核の傘の下で核廃絶を進めていくことに論理的な矛盾はありません。

そもそも、武器を持たずに核の傘から出て言葉で核廃絶を訴えたところで、「ならず者国家」が核廃絶に動くという合理的確証はありません。

核を廃棄してロシアに侵攻されたウクライナを見ればわかるように、戦争から遠ざかるどころか、逆に戦争に巻き込まれるリスクが高くなります。なぜなら懲罰的抑止が機能しなくなるからです。

何の合理的論拠も示すことなく核廃絶を訴える【過激な平和主義者 extreme pacifist】は人々の生命リスクを脅かす無責任な存在です。

いまさら得意げに語られても……

さて、番組コメンテーターによるスタジオ・トークにおいてもナイーヴな主張が繰り広げられました。

寺島実郎氏:「核から身を守るためには核で守ってもらわなければいけない」というロジックである核抑止論をよく冷静に考えてみると、「相手は正気で合理的判断をする力があるから、こっちが核兵器を持っていたら核攻撃されるかもしれないので核攻撃しない」という前提に立っている。

相手は正気か、合理的判断力があると思っているけれども必ずしもそうじゃないというのがロシアや北朝鮮の現状だ。そういう状況の中で、新しいルール形成のために前に出なければいけない。

例えば、核を持っている国は非核保有国を核攻撃してはいけないという国際ルールを確立するための先頭に出る。要するに日本が米国にとって、良い意味での厄介な同盟国としてのこだわりを見せなければいけない。

核抑止における戦略的な意思決定に関わる数学的な方法論として【ゲーム理論 game theory】があります。

1950年代のランド研究所でトーマス・シェリングが議論した古典的なゲーム理論では、相手が完全な合理性をもつことを前提としましたが、現在の進化したゲーム理論では、人間の認識能力の限界に依存する限られた合理性である【限定合理性 bounded rationality】を前提とした核抑止のシミュレーションが普通に行われています。実は寺島氏が得意げに語る非合理な人物の行動パターンは四半世紀も前から数学的に探求されているのです。

また、寺島氏は「核を持っている国は非核保有国を核攻撃してはいけないという国際ルール」の確立を提案していますが、「ならず者国家」の専制支配者は必ずしも「正気で合理的判断をする力」をもっているわけではないので、ルールを遵守するとは限りません。

司法権が存在しない国際社会において、「ならず者国家」に覇権を諦めさせるためには、強制力が担保されない国際ルールの構築ではなく、ならず者行為に対して政治的・経済的制裁を発動する国際秩序の構築こそが求められるのです。

核兵器リスクの認知は戦争抑止に効果的か

元村有希子氏:映画『ひろしま(1953)』を観た。エキストラとして広島市民8万8千人が参加してキノコ雲の下で何が起きているかリアルに再現している。(中略)

登場人物の青年が「自分は被爆者で、もしまた戦争が起きたりしたら自分は兵役に駆り出されて知らない外国の人と殺し合わなければいけない。そういうことがないために広島で起きたことを広島県、日本、そして世界の人に知って欲しいと言う。今まさに世界はそういう事態に直面している。

世界の人々が、広島における被爆の事実を通して核兵器のハザードを知ることは、核兵器のリスクの認知に貢献すると考えられます。

しかしながら、この啓蒙が戦争抑止に効果的かというと、一概にそうとは言えません。残念ながら、現在の社会において戦争を起こすのは、自由民主主義国家において文民統制を行う国民ではなく、「ならず者国家」において国民の政治的自由を制限するごく少数の専制支配者です。

畠山澄子氏:被爆者の人たちの証言を世界に伝えて世界中の人たちの戦争の体験を聞くことを、船旅を通して10年以上やってきたが、やっぱり戦争を体験した人が核も戦争もダメだと言い続けている。国際情勢が核なき世界からほど遠いからといってそのメッセージはブレないと皆さんおっしゃる。それはその通りだ。

これまでたくさんの証言の場に立ち会ってきたが、国と国のパワーバランスでしか核を語れないのは、私は違うと思う。人は人として人の痛みを感じることができるから、そういったところから社会は動くし、世界は変わる。その意味で、今日、やはり核兵器のない、戦争のない未来を私たちは目指せることを今一度強調したい。

被爆者の人たちの証言を世界に伝える活動は、核兵器のリスクの認知に貢献すると考えられます。たとえ、戦争を経験していてもしていなくても、国際情勢が核なき世界から遠くても近くても、核も戦争も暴力的行為であり、望ましいものではありません。

しかしながら、国と国のパワーバランスで核を語ることは、人々が生存する上で重要なことです。人として人の痛みを感じることができる人もいれば、「ならず者国家」の独裁専制者のように、人として人の痛みを感じることが自分の存在を否定することになる人もいます。

この専制支配者が力ずくの暴力で人々を支配する環境においては、社会は動くことなく、世界は変わりません。勿論、人々が核兵器のない、戦争のない未来を目指すことはできますが、その実現は簡単ではないのです。

先述したように、核廃絶が論理的に可能となるのは、「ならず者国家」の独裁支配者を確実に制裁可能なピンポイントの攻撃技術、あるいは「ならず者国家」の核攻撃を確実に無効化することが可能な防衛技術を、文民統制が完全に確立した民主主義国家が手に入れた時です。残念ながら、これらの技術を手に入れるには一定の時間が必要です。

また、それまでには、核より恐ろしい兵器が開発される可能性も想定されます。人々の感情に訴えるだけではセキュリティを確保することはできません。

「核を持った者勝ち」を阻止するため

松原耕二氏:今の戦争の在り様を見ていると、ウクライナは核を持たない上に侵略されて、国土は荒廃している。ロシアはというと、西側は追い詰め過ぎないように気を使い、国土はほとんど無傷だ。これほど不公平なものはない状況だ。

つまり核を持った者勝ちだ。これが核抑止の現実だ。それなのに核抑止をさらに強化しようとする動きがみられる。核抑止に固執する考えをどう乗り越えられるか、最も知恵が問われている

支離滅裂なコメントです。核抑止こそ「核を持った者勝ち」を阻止する手段であるからです。西側は「核抑止に固執」しているわけではなく、「ならず者国家」が目指す「核を持った者勝ち」を阻止するため、核抑止せざるを得ない状況に追い込まれているのです。

核廃絶論者の大きな勘違いは、核で世界を脅している「ならず者国家」に対して核廃絶を積極的に促すことなく、その核を使わせないための西側の核抑止を積極的に非難していることです。この勘違いに気付かない限り、的を射ない無駄な議論を繰り返すだけであり、罪もない人の生命に危機を及ぼすことになります。

藤原かずえ | Hanadaプラス

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