「先生たちに知ってほしい」被爆者の森重昭さんが広島・己斐の原爆の歴史を講演 

【動画】母校で語ったヒロシマの悲劇 被爆者・森重昭さん

広島の原爆の日に、被爆して亡くなったアメリカ兵捕虜の調査を長年続けている被爆者の森重昭さんが、母校の小学校で自らの体験を語りました。

約5万人が参列した平和記念式典。

同じ頃、市街地の一角で、森さんが祈りを捧げていました。

■被爆者 森重昭さん

「78年も前のことだが、広島の人や死んだ外国人にとって忘れられない日」

戦時中、ここにアメリカ人捕虜が収容されていました。そして迎えた8月6日。

被爆死した12人の捕虜。長年の調査でその存在を特定したのが森さんです。その功績が認められ、アメリカのオバマ元大統領との対面を果たします。

森さんは、被爆死したアメリカ兵を弔うため、自費で銘板を製作。原爆の日には、欠かさずここを訪れています。

疑問は徹底的に解明する。そんな姿勢の原点になった場所があります。広島市西区にある母校の己斐小学校です。自宅があった己斐で被爆した森さんが向かった己斐国民学校は、すでに救護所になっていました。そこで見たのは、校庭に並べられた多くの遺体。

■被爆者 森重昭さん

「己斐小学校の校庭で2300人の人が焼かれた。私が13年かけて調べた。これから核戦争が起きたらもっとひどいことになる」

78年前、ここで何があったのか。森さんが己斐小学校の教員約30人に語ったことです。調査の為に、地元の約1000軒を訪ねたといいます。この探求心が、のちの被爆したアメリカ兵の研究に結実します。母校の教師に、子ども達に地元の悲劇を教えてほしいとの一念からの講演です。

■己斐小学校 教諭

「僕たち自身が戦争を体験していないなか、知っている知識を子どもたちに伝えるしかないので、きょう新しい知識をいただけてとても感謝している」

■被爆者 森重昭さん

「戦争は絶対にしてはいけないとしっかり気づくべき。特にそれを先生方に知ってほしい」

原爆の日に被爆者が伝えた、生まれ育った町で起きた悲劇の数々。数多の遺体を荼毘に付した校庭は、もうひとつの被爆の証人です。

【2023年8月7日放送】

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