「昭和喪失」 ~あと数年も経つと「遺産」となる~ そのような時代を迎える前に 第5章 東京都台東区・旧竹町~佐竹商店街~

第5章 東京都台東区・旧竹町~佐竹商店街~

秋田藩主佐竹氏は、源氏の流れを組む末裔と言われる。その佐竹氏の江戸屋敷は、佐竹商店街の辺りにあった。幕府の人質である藩主夫人が住まう江戸屋敷は、大名にとって重要な場所。そして、江戸中期、参勤交代制度が乱れがちになると、藩主自身も江戸詰めとなり、より重要な拠点となった。

この佐竹氏のお屋敷、総門を「竹門」と呼ばれていたことが旧・竹町の由緒だ。

明治の声を聞く1869年に一帯が火災によって消失し荒野原となった。そして、1884年頃からこの周辺の土地が民間に払い下げられる。店舗が増えるにつれて商店街が萌芽した。1898年に商店街組合が発足、これは、金沢片町商店街に次ぐ、日本で2番目の古い商店街だ。

露天商が集まり、寄席・見世物小屋が並ぶようになる。竹町は一大歓楽街となり黄金時代を築いた。

火災からの復興

関東大震災や空襲によって、何度となく焦土と化した町も、1946年には組合を再結成した。1964年に住所表記の変更によって「竹町」の名称は消える。しかし、1969年に全蓋アーケードを完成させ、名実ともに都内屈指の商店街となった。

近くには、佐竹家の家伝薬と言われる「龍角散」の本社もある。春日通りと清洲橋通りという東西南北に走る道に隣接し、東京下町の栄枯盛衰を見てきた商店街、大江戸線が開通するまでは、陸の孤島とも言われた。

1977年にテレビ朝日の人気番組「電線音頭」が、竹町出身の伊東四朗氏によって収録放映される。また、数多くのドラマや映画のロケ地としても紹介され、その古き時代からの景観は存在感を増した。

しかしながら、コロナ禍を越え、だんだんとシャッターが閉まったお店が増えたようにも感じる。未来につなげていくには何をしたら良いのか。これも時代の流れ、昭和喪失であろうか。

寄稿者 観光情報総合研究所 夢雨/代表

(次のページは佐竹商店街の今の姿です)

撮影・取材 2023年7月5日

ふくろうがトレードマーク、佐竹商店街

商店街の中でも活気のあるスーパーマーケット

お昼間からお客さんがどんどんと!

昭和を感じるおもちゃ屋さん

行き交う人の数は、それなりにあります

だんだんと改装をするお店もちらほら!

(これまでの寄稿は、こちらから)

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