【特別寄稿】パチンコ産業の歴史⑰ パチスロのジャンルが多様化、100万台超へ (WEB版)/鈴木政博

創刊60周年記念にあたり、業界の歴史を振り返る意味において「パチンコ産業の歴史シリーズ」を再掲載しています。※この原稿は2011年10月号に掲載していた「パチンコ産業の歴史⑰」を一部加筆・修正したものです。

1. 基準変更前のアイデア「7ライン機」の登場
パチンコの「2回ループ禁止」「確変50%まで」「確変5回リミッター」とする規制により終焉したCRバブル。その業界不況を救ったのが「リプレイハズシ&15枚役狙い」の打ち方で大ヒットしたユニバーサル販売(現ユニバーサルエンターテインメント)製「クランキーコンドル」や、「チャレンジタイム(CT) 」を搭載したサミー製「ウルトラマン倶楽部3」など斬新なパチスロ機の登場であることは前号で述べた。

しかし、パチスロの勢いはまだまだ加速していく。新たなジャンルとして1998年10月に山佐が「ドクターエー7」と「アストロライナー7」を発売。これは、今まで5ライン機が常識だったパチスロに初めて「有効ライン数7ライン」というゲーム性を採用したものだ。

もっとも当時、特に有効ライン数の規定はなかった。慣例として各メーカーで「1枚投入で1ライン・2枚投入で3ライン・3枚投入で5ライン」というゲーム性が引き継がれていただけだ。それをわざわざ「7ライン」としたのには、ビッグボーナス確率と密接な関係がある。

当時の規則では、ビッグボーナスは「表面上、全組み合わせの1,500分の1を超えないこと」という決まりがあった。21コマのリールが3つなら「21×21×21=9,261通り」の組み合わせがあることになるが、この 1,500分の1なので「9,261÷1,500=6.17」 となり、ビッグボーナス図柄は最大でも6通りまでしか搭載できなかった。当時、最も多かったのが「左リール3個×中リール2個×右リール1個」とボーナス図柄を配列し、合計6通りとするパターンだ。これが5ライン機なら 「6×5ライン=30通り」のボーナス図柄の並び方があることになる。

また「ソフト上での内部抽選確率は、表面上の組み合わせの±30%とすること」という決まりもあった。従って当時、ビッグボーナス確率は 「9,261分の30」の±30%の範囲、つまり「237.46分の1~441.0分の1」という範囲内で、BB抽選を設定していた。

しかし、これを7ラインとすることにより、単純にビッグボーナスの組み合わせは「6×7ライン=42通り」に増える。それによってビッグボーナス確率も「9,261分の42」の±30%となり、結果「169.6分の1~315.0分の1」の間で設定できるようになる。「7ライン機」の最大の特徴は、 今まで240分の1程度までしか甘くできなかったビッグボーナス確率を、170分の1近くまで甘い仕様にできる点にあったといえる。

山佐製「ドクターエー7」

2. 新基準による「大量獲得機」の登場
7ライン機の登場より時間を遡ること半年。1998年4月1日、遊技機規則の「技術上の規格解釈基準」が改正された。当時の「遊技機の認定及び型式の検定に関する規則」には「入賞に係る図柄の組み合わせの数は、すべての図柄の組み合わせの数の百分の十一を超え、百分の四十を超えないものであること」とあるが、ここにある「入賞に係る図柄」については「ビッグ・レギュラー・小役・リプレイ」であると解釈されていた。つまり、すべての入賞図柄の合計数が全体の11%~40%にする必要があった。ハズレ停止出目を、最低でも全停止図柄の60%の組み合わせまで用意しなければならない。しかし1998年、技術上の規格解釈基準の改正で、この「入賞に係る図柄にはリプレイを含めない」こととなったのだ。

では、これによりどんな変化があったのか。リプレイ分の組み合わせが「入賞に係る図柄」でなくなったことにより、減った分の小役の組み合わせを増やす必要がでてくる。これに伴い、図柄配列の自由度が上がったのに加え、同時に図柄の引き込みに関する計算方法も変わった。さらに大きかったのは、保通協の型式試射試験時において「期待値」はチェックしなくなり、実射試験上で「出玉率」と「連続役物比率」をクリアすれば適合するように検査方法も同時に変わった点だ。実は、それまでは「ビッグボーナス中の小役ゲーム中の出玉期待値は2.0を超えるものでないこと」が適合条件に含まれていた。しかし、この試験方法の変化により「目押しせず順押しで消化した場合に、出玉率と連続役物比率がOKなら適合」となったのだ。

そこで登場するのが「大量獲得機」だ。ビッグボーナス中のJACゲームシフト確率を下げる。そしてボーナス中の小役ゲーム中は「目押しせず順押し消化すれば、出玉率、連続役物比率ともクリアする」が、実は小役ゲーム中に「リプレイハズシ」や「特定小役目押し」を駆使すれば、最大で600枚近く出るという機械が出てきたのだ。大量獲得機の第1号機はサミー製「Bin貧神さま」である。大量獲得機は、その後もIGTジャパン製「ホッパーキング」や山佐製「花月」など続々と登場し、最終的にはアルゼ (現ユニバーサルエンターテインメント) 製「大花火」が空前の大ヒットを記録するに至る。

ユニバーサル販売製
(現ユニバーサルエンターテインメント)
「HANABI」

サミー製
「Bin貧神さま」

この1998年という年は、パチンコの5回リミッターの冷え込みをカバーするかのように、飛躍的にパチスロが設置台数を伸ばした。パチスロ界においてはまさに転機となった年だ。 「ニューパルサー」 一色だったパチスロのシマに、Aタイプの「サンダーV」や「HANABI」、CT機の「ウルトラマン倶楽部3」、7ライン機の「ドクターエー7」、大量獲得機の「Bin貧神さま」や「ホッパーキング」などが次々と導入されていく。さらに一部店舗では、後に検定取り消し処分となる「リズムボーイズ」などを導入するところもあった。単純に射幸性が上がっただけでなく、ジャンルの広がりに加え、遊べる台から勝負できる台まで、ファンが自分自身で選んで遊技できる「バラエティ化」に成功したのが最大の要因だったのだろう。この1998年、パチスロ設置台数は歴史上初めて100万台を超えた。

(以下、次号)

■プロフィール
鈴木 政博
≪株式会社 遊技産業研究所 代表取締役≫立命館大学卒業後、ホール経営企業の管理部、コンサル会社へ経て2002年㈱遊技産業研究所に入社。遊技機の新機種情報収集及び分析、遊技機の開発コンサルの他、TV出演・雑誌連載など多数。

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