核兵器廃絶を願って 「長崎・原爆の日」 広島でも追悼

9日は、「長崎・原爆の日」です。同じ被爆地の広島でも、犠牲者を追悼しました。

広島市の原爆資料館では、被爆者や市民などが集まり、「長崎原爆犠牲者慰霊の会」が開かれました。

広島県被団協 箕牧智之 理事長
「核兵器が使われたらどうなるか。世界の政治指導者は、被害の大きさを認めるべきだ」

参列したおよそ50人が、長崎市の「平和祈念式典」の様子を見守りました。

被爆者代表 工藤武子 さん(85)
「唯一の戦争被爆国である日本は、世界に広く核兵器の非人道性を伝え、地球の人類の未来を守るには、核兵器の廃絶しかないと訴えるべき」

長崎での式典会場は、台風の接近に伴い、室内ホールに変更して行われました。来場客の安全を考え、岸田総理や各国の大使は参列せず、規模を縮小しての開催です。

原爆投下時刻の午前11時2分、広島からも黙とうしました。

平和宣言では、G7広島サミットで発表された『広島ビジョン』に触れ、「核抑止への依存からの脱却を勇気を持って決断すべき」と批判しました。

長崎市 鈴木史朗 市長
「広島ビジョンは、核兵器を持つことで、自国の安全を守る『核抑止』を前提としている。核抑止に依存していては、核兵器のない世界を実現できない」

式典終了後、広島と長崎で二重で被害に遭った被爆者の体験談が、披露されました。

胎内で被爆 佐伯志津代 さん(77)
「教員の立場で(平和学習を)教えていたが、(惨状は)全然違った。被爆者の話を聞くなか、そんなに甘いことではなかった」

浅川晴恵 さん(88)は、長崎で被爆し、広島に越してきました。

9歳のとき長崎で被爆 浅川晴恵 さん
「(家族は)原爆症で入退院を繰り返し、全員見送った。7人見送った。(広島ビジョンで)『核廃絶』との言葉が出てこなかったのが腹立たしい。『核抑止』という言葉は、死語にしてほしい。この年で運動はできないが、同じ心を持った人たちと集まり、話したい」

広島と長崎に原爆が投下され、78年―。長崎を最後の被爆地に…。次の若い世代が被爆者の思いを継承し、平和のバトンを未来につないでいけるかが、今後の課題です。

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