「歴史大切にしてくれて、ありがたい」 英国大使が平戸初訪問 按針ゆかりの史跡巡る

按針の墓と伝わる碑の説明を受けるロングボトム駐日英国大使(左)=平戸市崎方町

 ジュリア・ロングボトム駐日英国大使と夫のリチャード・シヴァさんが8日、初めて平戸市を訪問。江戸時代、徳川家康の外交顧問を務め、平戸で死去した英国人、ウィリアム・アダムス(日本名・三浦按針(あんじん))ゆかりの地を巡った。
 同大使は2021年3月着任。今回、広島の平和記念式典参列後、按針ゆかりの地である大分県臼杵市と平戸市を巡っている。按針の功績に関心を持ち、国際交流に取り組む有志でつくる「ザ・ウィリアム・アダムス・クラブ」のポール・クリスティー代表(大分県在住)が行程をコーディネートした。
 平戸市では、按針忌を主催する市民団体「国際交流HIRAの会」初代会長の小関彰博さん、現会長の井上隆さんらが案内。大使は按針の墓だと伝わる碑や、按針と同時代に平戸で死去した記録がある外国人の名を刻んだ銘板(いずれも崎方町)、平戸英国商館跡の碑(岩の上町、市役所玄関そば)などの史跡を回り、説明に聞き入った。
 市役所で黒田成彦市長とも懇談。大使は「日本と英国の歴史を大切にしてくれている。本当にありがたい」などと述べた。懇談後、取材に「平戸はとてもきれい。日本で最初に上陸した臼杵と死去した平戸が、ともに九州というのはおもしろい」と話した。
 三浦按針は1600年、欧州から日本(臼杵)にたどり着いた帆船「デ・リーフデ号」の航海長。徳川家康の外交顧問で、平戸英国商館開設にも力を尽くし、20年に平戸で死去した。


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