道の駅を改修したら地中から貴重なドーム状砲台が 明治期に建造、南あわじで全国初の現存確認

射撃口からは、鳴門海峡と大鳴門橋が見える(南あわじ市教育委員会提供)

 約120年前の1899(明治32)年、播磨灘への敵国の侵入を防ぐため、兵庫県南あわじ市福良丙の鳴門岬に築かれた「門崎砲台」が、周囲をドーム状のコンクリートで覆われた形状のまま現存することが分かり、南あわじ市埋蔵文化財事務所が11日、発表した。砲をドーム状の壁で守った砲台は後に見られるが、明治期の砲台で現存が確認されたのは全国で初めて。

 砲台は淡路島の南端、鳴門海峡に突き出す岬に位置する。道の駅「うずしお」の旧施設の下に埋まっていた。施設の改修工事に伴う地中の調査で見つかった。

 同事務所によると、確認されたのは、口径24センチのカノン砲を収用した砲台の一部と弾薬庫。ドーム状の砲台は「弩窖砲台」と呼ばれ、厚さ約1.8メートルのコンクリートで造られた。長さは約14メートル、幅は約13メートル。弩窖砲台としては国内最大級だという。

 門崎砲台は、鳴門海峡から侵入する敵国艦隊を撃退するため旧日本陸軍が造り、周辺のほかの砲台や陣地とともに「鳴門要塞」を構成した。

 まだ戦闘機が広く使われていない明治期、砲台は砲座がむき出しになった露天状態が一般的だった。だが門崎砲台は岬の先端に位置し、敵船に近い距離から狙われやすいため、ドーム状にしたと考えられるという。

 太平洋戦争後、観光施設として活用されたが、1970年に旧南淡、西淡町が砲台を埋め、観光施設「みさき荘」(現・道の駅うずしお)を整備。砲台は半世紀以上、大鳴門橋を望む観光スポットの地下にあった。

 南あわじ市は老朽化して危険なため、見つかった砲台を取り壊し、計画どおり新施設を完成させる。周辺に同規模の砲台の一部が地中にあることも分かったが、安全対策として土地を補強しそのまま残す。

 市は、砲台の価値を踏まえ、改修工事の後、門崎砲台を紹介する案内板の設置や、観光客が復元イメージなどをスマートフォンで見られるQRコードの導入などを検討する。また今月18、19日の午前10時、午後2時から計4回、一般公開する。申し込みは不要で、当日、現地で参加を受け付ける。(西竹唯太朗)

© 株式会社神戸新聞社