「8.15」 毎年訪れる終戦の日、新聞は何をどう報じてきたのか 77年分の1500ページをひもとく #戦争の記憶

「8.15残像」の見出しで、失われつつある戦争遺跡を報じた1978年8月15日の紙面。この頃から、風化への懸念が広がる

 78年前の夏、太平洋戦争が終わった。終戦の日「8月15日」。毎年訪れる節目に、南日本新聞は何をどう報じてきたのか。昭和、平成、令和と、終戦翌年1946(昭和21)年から2022年まで77年分の朝刊紙面約1500ページをひもとき、時代の流れを映し出す変化をたどった。

 46年の朝刊紙面は裏表の2ページ。戦時中に関する記事はなく、1面の見出しには、連合国に対する戦争賠償計画として「賠償工場第二次指定 製鐡(鉄)所など五百五工場」、「歴史的憲法改正案 つひに衆院を通過」とある。投稿欄のタイトルは「捨てられた遺族」。裏面の「尋ねびと」コーナーには、家族や知人が消息を探す人の名前が列挙され、戦後間もない混乱ぶりがうかがえる。

 「終戦」の文字が登場するのは翌47年。1面見出しは「きょう終戦二周年」、社説は「平和と人権の享有」がテーマだ。鹿児島港での民間貿易再開を伝える記事には「『思い出の日』に 晴れのスタート」の見出し。「思い出の日」は「民主日本の誕生日」の8月15日を指す。

■潮目変わった52年

 その後、数年間は焼け跡からの復興の歩みが中心だ。48年は、資金難などで住宅再建が思うように進んでいない状況を「赤字に悩むカゴシマの復興」とし、鹿児島市街地の現状を写真で紹介。5年目の50年は「目ざましい鹿児島の復興ぶり」として、「ネオンサインのきらめく戦前にもました繁華街」天文館や郡元飛行場跡に建った戦災孤児の保護施設「仁風寮」、戦争犠牲者の母子家庭のための「婦人の街」の写真を載せた。

 潮目が変わるのは、サンフランシスコ平和条約の発効で日本が主権を回復して最初の終戦の日となった52年。「日本産業の七カ年 復興から制限へ」の見出しで、政府の計画を上回るペースで進む復興状況を紹介。54年にかけては戦中・戦後の「秘録」「秘話」として、元将兵らの最期や終戦後の逸話が出てくる。

 55年は「思い出のアルバム 激動の戦後十年」の1ページ写真特集を展開。中国大陸などからの引き揚げや天皇巡幸、奄美復帰(53年12月)などを振り返った。別の面でも「豊かになった国民生活」「明るく育った戦災孤児」といった見出しが躍る。

■「もはや戦後ではない」

 政府が経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言した56年は、1面に「終戦意識を捨てる時期」の見出し。翌57年は1面から「終戦」の見出しが消えた。この年は、全体を通じて特集などもない。社説だけが「戦後はすでに終(わ)ったか」と題し、まだ深い傷跡が残るとした。

 60年前後からは、鹿児島県内の被爆者や大陸で旧ソ連兵に暴行され妊娠した女性と子どもら一般市民の戦争被害も発信されるようになった。

 61年には「この惨禍、くり返すまい」と題し、読者から募った写真で1ページ特集を組んだ。空襲で焼け野原となった鹿児島市街地やバケツリレーの防空演習、強制疎開、女子挺身(ていしん)隊など戦中の写真を多く載せ、戦争を歴史として捉えだしたのがうかがえる。

 戦後20年がたった65年。1面で「平和へ新しい道標(しるべ)を」と主張。特集面では「戦後よサヨウナラ 私の描く未来設計」の見出しで、農業や都市計画、高速道路、宇宙開発などの将来像を各分野の関係者に語ってもらった。

■風化が課題に

 復興による経済の急成長ぶりが、垣間見える紙面もあった。

 終戦から四半世紀が過ぎた70年は、2ページ特集で「“繁栄”つづける 経済大国日本 “発展の道”をかえりみて」と銘打ち、座談会や米国や旧ソ連など各国から見た「日本」を報じた。

 30年目の75年の社説の見出しは「平和国家建設の誓いを新たに」。各面に関連記事が盛りだくさんで、親と子で異なる戦争意識や、戦後生まれのインタビューなどをまとめた2ページ特集、社会面では連載「戦後は終わったのか」などを展開した。

 70年代半ばから、8月15日には、社会面や地方面で遺族たちの苦労、従軍体験などの記事を報じるのが定着した。併せて、15日前後に連載を掲載する年が目立つようになる。シベリア抑留や学童疎開、中国残留孤児などテーマはさまざまだ。

 78年の1ページ特集「8.15残像」は、県内に残る地下壕(ごう)や機銃掃射による弾痕などの写真を紹介し、「戦争体験の風化が叫ばれ残像が次々に消えていった」と指摘。この頃から「風化」への懸念が広がっていく。

 79年の社説見出しは「悲惨な戦争体験を風化させるな」、80年は「35年目、歴史の教訓を忘れるな」と終戦から離れるにつれ、その論調は強まっていく。

終戦から16年たった1961年8月15日の南日本新聞1ページ写真特集。「この惨禍、くり返すまい」として空襲で焼け野原となった鹿児島市街地や防空演習、強制疎開など戦中の様子を紹介。戦争を歴史として捉えだしたのがうかがえる
1947(昭和22)年8月15日の南日本新聞朝刊1面。見出しに「終戦」の文字が登場した

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