廃絶の「久米土人形」復興へ挑戦 岡山の長友さん「魅力広めたい」

「久米土人形」の復興に取り組む長友さん(左)。産賀さんに助言をもらいながら試行錯誤を重ねている=7月22日、津山市

 江戸時代から津山市久米地域で作られてきた郷土玩具で、約20年前に廃絶した「久米土人形」の復興に、デザイナー長友真昭さん(25)=岡山市北区=が取り組んでいる。かつての担い手が残した道具や関係者の話を基に今春から製作に着手。「土人形になじみのない若い人たちにも魅力を広めたい」と意気込む。

 色鮮やかな着物をまとい、柔和な表情を浮かべる天神様。眼光鋭いダルマ、愛嬌(あいきょう)のある顔立ちの招き猫…。久米土人形は、型取りした粘土を天日乾燥させ、胡粉で下塗り。泥絵の具で彩色して仕上げる。地元を中心に縁起物として親しまれ、明治時代には9軒が手がけていたものの、次第に衰退し、最後の作り手だった岸川留代さん(津山市)が2000年に亡くなったことで途絶えたという。

 岡山市内のデザイン会社に勤務していた長友さんは、仕事の一環で県内の郷土玩具を調査していた時に、久米土人形を知り、「人の手で量産するからこそ生まれる表情の違いが何とも言えない」と魅了されたという。知人から人形の原型となる陶製の型を岸川さんの親族が保管していると聞き、復興を思い立った。

 今年2月に津山市の親族を訪ね「僕に作らせてほしい」と相談したところ、とんとん拍子に話が進み、作業場と道具を借りることに。毎週末、自宅から作業場に通い、岸川さんの三女で製作を手伝っていた産賀久子さん(79)=岡山県鏡野町=の助言を受けながら、型の取り方や色の具合など試行錯誤を重ねている。

 復興の第一歩として、10月に岡山神社(岡山市北区石関町)の「蚤(のみ)の市」に出店。自作の招き猫や福助人形を販売予定という。長友さんは「いずれはオリジナルの型も加え、新たな郷土玩具ブームを巻き起こせたら」と話している。

 久米土人形 江戸時代末期に、津山市久米地域で農業の副業として作られたのが始まりとされ、京都の伏見人形の流れをくむ。看板商品の天神人形は高さ1メートルを超える大作から十数センチの小品まで11種類。他にも「鯛のり戎(えびす)」「福助」「座り猫」など多くの種類がある。戦後、唯一の作り手だった岸川武志さんが1966年に旧久米町の重要無形文化財に指定された。86年の逝去後、妻の留代さんが引き継いだ。

江戸時代から津山市久米地域で作られてきた「久米土人形」。左から2体目の招き猫は長友さん作

© 株式会社山陽新聞社