「平和は人任せにしない」愛子さまに受け継がれた“天皇家・反戦の祈り78年”

1994年10月、広島市の平和記念公園で供花された天皇皇后両陛下(写真:共同通信)

愛子さまの胸にも確かに息づいている。

■グローバルな視点と未来志向。祈りを新たな段階へ進められた天皇皇后両陛下

2022年は沖縄本土復帰50年にあたる。コロナ禍のため地方ご公務も自粛されていた天皇陛下と雅子さまにとってこの年10月の沖縄ご訪問は、3年ぶりとなる宿泊をともなう地方でのご公務となった。特に雅子さまは1カ月以上前からご体調を整えていらしたという。

両陛下は那覇空港から糸満市へ。摩文仁にある平和祈念公園の国立沖縄戦没者墓苑でご拝礼。背景には青い空が広がっていた。

このとき遺族代表ら19人にお声がけされた。そのなかでも両陛下がもっとも長くお話しされたのが沖縄県遺族連合会の元会長で、現在は顧問を務めている照屋苗子さん(87)だった。照屋さんは幼いときに沖縄戦を体験し、目の前で家族を失っている。

「天皇陛下より『どなたを亡くされましたか』というお尋ねがあり、父をはじめ家族5人を失ったことを申し上げました」(照屋さん)

照屋さんが続けて「いま子どもたちに戦争の悲惨さ、平和の尊さを話しています」と、お伝えすると、雅子さまは真剣なまなざしでこうおっしゃったのだ。

「貴重なお話をお聞かせいただいて、ありがとうございます」

そのお言葉に照屋さんは強く心を打たれたという。照屋さんは当時の対話をこう振り返る。

「私の目をじっとご覧になりながら、お話しになるお二人を見て、上皇ご夫妻のお心を引き継いでいただいていることを感じました。沖縄にお心をお寄せくださり、特に遺族に深くお心を寄せてくださり、うれしく感謝の気持ちでいっぱいです。

天皇皇后両陛下には、戦争の悲惨さと平和の尊さを全国に伝えていただき、平和を求める象徴であっていただきたいと思います。愛子さまにも沖縄においでいただければ、喜んでお迎えしたいと思います」

雅子さまにとって25年ぶりとなった沖縄ご訪問。前回のご訪問の後には、こんな御歌(和歌)を詠まれている。

《摩文仁なる礎の丘に見はるかす空よりあをくなぎわたる海》

雅子さまにとって平和を願ったその日の青空と蒼い海は、ずっと心に残っていらしたに違いない。

上皇さまと美智子さまが“戦争を知る世代”だったのに対し、天皇陛下と雅子さまは“戦争を知らない世代”。令和の御世となり、皇室の祈りは新しい段階を迎えている。

天皇陛下と雅子さま流の平和希求の特徴の一つが“グローバルな視点”だ。

《世界各地での戦争や紛争により、子どもを含む多くの人の命が失われていることに深い悲しみを覚えます》

昨年12月に公表されたお誕生日に際しての文書の一部だが、雅子さまは皇太子妃時代から国際紛争への悲しみを訴えてこられた。

「皇室は政治問題への介入を避けてきましたので、いまも国際紛争などへの直接的な声明を出すことは難しいのです。しかし日本が再び戦禍に巻き込まれないためには、自国や近隣諸国だけを見るのではなく、グローバルな視点を持って平和を訴え、世界の紛争状態を停止させることが必要となります。

雅子さまは戦争で困難な生活を強いられている人へお心を寄せ続けることで、そうしたメッセージを発信していらっしゃるのです」(静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さん)

特徴のもう一つが“未来志向”だ。

「天皇皇后両陛下は、今年6月にインドネシアを訪問されました。太平洋戦争が終わったあともインドネシアにとどまり、オランダとの独立戦争に加わった元日本兵も埋葬されているカリバタ英雄墓地を訪れ、供花されています。

このように平成流の“慰霊の旅”を受け継がれながらも、今回のご訪問で重視されていたのは、大学や職業専門高校などでの若者たちとのご交流でした。若い世代と新しい関係を築き、非戦・平和の精神を分かち合っていくことを両陛下は目指されているのです」(宮内庁関係者)

天皇陛下と雅子さまが、若い世代に託そうとされている平和のバトン。もちろん長女・愛子さまも、大切な担い手のお一人なのだ。

■“平和は一人ひとりの責任ある行動で築きあげていくもの”、魂が震える愛子さまの作文

《原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた》

2016年5月、学習院女子中等科3年生だった愛子さまは、修学旅行で広島平和記念公園を訪れ、そのときの衝撃を作文に書かれている。タイトルは「世界の平和を願って」ーー。

当時、平和学習講師という立場で、学習院女子中等科の生徒たちを案内した被爆二世の瀬木寛親さん(58)は、

「愛子さまも熱心に説明を聞かれていたそうですが、学習院女子の生徒さんたちは、皆さん礼儀正しく熱心だったという印象です。

私は両親を含め、親族13人が被爆しています。親族やほかの被爆者の方たちから聞いた体験を、なるべく客観的に伝えることが大切だと常々考えています。

これからの皇室の中心的存在になられる愛子さまが、平和記念公園を訪れ、作文を書いてくださったことをうれしく思います。愛子さまは、“平和は人任せにするべきではない”と、つづられましたが、そのお考えに深く共感いたしました」

愛子さまの作文には、ご体験ばかりではなく、平和に関する考察も記されている。

《日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。

そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから》

当時、愛子さまは14歳。中学生とは思えない思慮深い視点をもち、また天皇家が担ってきた平和の祈りを、しっかりと受け継いでいらっしゃることを、両陛下は誇りに思われたことだろう。

「2020年、両陛下が核兵器廃絶に取り組む国連事務次長の中満泉さんを御所に招いて懇談された際、この作文のコピーを中満さんに渡されたのです。ご懇談のなかでは、戦争の記憶を次の世代にどう継承していくかということも話題になっていました」(皇室担当記者)

天皇陛下と雅子さまのお背中を見て成長していくなかで、愛子さまは「平和への祈り」を、体得されてきたのだ。

両陛下がインドネシアを訪問されているなか、愛子さまはお一人で6月23日の「沖縄慰霊の日」を迎えられたが、御所で黙禱を捧げられたという。また8月6日の広島「原爆の日」にも、ご一家そろって御所で黙禱を。

天皇家の平和の祈りの結晶ともいえる愛子さまの作文は、次のような文章で始まっている。

《卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた》

私たちも、青い空に平和を探し続けなければならないーー。

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