全国高校野球 茨城・土浦日大16強 思い胸に登板待つ 畑投手、親子孫3代で甲子園

6回裏を無失点に抑えた仲間をベンチ前で出迎える土浦日大の畑飛雄馬投手(右)=甲子園球場

祖父から父、そして子へ-。全国高校野球選手権大会に茨城県代表として出場している土浦日大の畑飛雄馬投手(3年)は、祖父、父に続き親子孫の3代で甲子園への切符をつかみ、悲願の聖地に立った。1、2回戦では出場機会がなかったが、祖父と、スタンドで見守る父の思いを胸に、マウンドに立つ機会を待つ。

祖父の故・松村修二さんは北海道出身。1960年夏、旭川北で北北海道大会制覇に貢献し、同校を初の甲子園出場に導いた。甲子園ではメンバー入りを逃したが、アルプススタンドから熱い声援を送った。

父の畑明さん(50)は91年春、旭川竜谷(現旭川龍谷)で投手兼一塁手として聖地へ。登板の機会こそなかったが、5番打者として第2打席に右前打を放った。卒業後は新日本製鉄君津(千葉・現日本製鉄かずさマジック)で7年、投手として活躍した。

明さんは父、修二さんについて「雪の多い冬場に精神を鍛錬し、男らしさのある人だった」と話す。アニメ「巨人の星」の星一徹のような厳しい父親だったこともあり、自分の息子には「飛雄馬」と名付けた。

飛雄馬投手は、物心ついたときから野球ボールとバットを持ち、明さんから高度な技術を学んだ。小学2年で本格的に野球を始めると、めきめきと力をつけ、土浦日大入学後は投手に専念。今夏は背番号11を受け取った。

同学年にはエースの藤本士生(3年)ら左右の柱となる投手がいたため、「チームにいないサイドハンド(横手投げ)になる」と昨年秋に決意。貴重な変則右腕として活躍した。

夢の甲子園でまだ登板機会がないが、伝令としての役割を全うしている。「監督が言ったことはもちろん、自分なりに和ませられるように」と心がける。

祖父と父は甲子園では初戦敗退だった。親子3代にわたる物語は、3代目で白星をつかんだ。「祖父と父を越えたい」と話す飛雄馬投手の残る望みは試合での登板。明さんは「チャンスをものにできるように準備を」と願い、見守っている。

© 株式会社茨城新聞社