15日精霊流し 突然亡くした妻を思い 長崎の建築家・松尾さん 自ら設計、制作の船で送る

自作した精霊船の前で亡き一枝さんへの思いを語る松尾彰さん=長崎市晴海台町

 長崎市晴海台町の建築家、松尾彰さん(74)は3月に妻の一枝さん=享年(74)=を亡くした。5月の結婚50周年に合わせ、予約していた欧州旅行を楽しみにしていた矢先。突然の別れだった。彰さんは、これまで両親らの精霊船4隻を自ら設計、制作してきたが、今回は特別な思いで船を作った。「区切りなんてつけられない。だけど一つの通過点として」
 東京での大学時代に出会い、卒業後、一枝さんは山梨、彰さんは長崎に帰郷。当時は今のような連絡手段も無く、手紙でのやりとり。8年間の遠距離恋愛を経て、1973年に結婚。2人の子どもに恵まれた。
 70歳を過ぎ、「これから10年間はいろんなことをしよう」と2人でよく話していた。金婚式を控えた今年3月、一枝さんは急な病に倒れ、帰らぬ人に。遺品を整理していると、若き日の自分が一枝さんに送った手紙が全て残っていて驚いた。「しっかりした人だったから」。笑顔の一枝さんの写真が飾られた仏壇を見て、目に涙をにじませた。
 2人とも旅行が好きで、これまで国内外のさまざまな場所に出かけた。一枝さんはガーデニングにも精を出し、特にバラを好んで育てていた。
 長女の小川瑞木さん(44)は「厳しい母だった」と話しながらも、子どもたちのためにカセットテープに伝言を残して仕事に出かけるような優しい人だったという。「おかえり。今日のおやつはテーブルの上に作ってあります。夕方には帰るから待っててね」。テープから聞こえていた母の声が忘れられない。
 「自分が先に逝く予定だった」と彰さん。「突然の別れで自分もつらいが、本人が一番つらいだろう」。書道の準師範だった一枝さんが使っていた部屋は当時のまま。雅号の「壱華(いちか)」を記した作品が積み上げられているのを見詰めた。
 気落ちする日が続いていた5月ごろ、精霊船の制作を開始。「妻の精霊船を作るとは考えていなかった」。長さ約5メートル、高さ約4メートル、幅約85センチ。昔ながらのわらを使った船にこだわりつつ、「少しでも明るく」と思い、屋根は赤の市松模様に。旅行先などの思い出が収められた写真を船の側面に飾り、船首に「壱華」を記した。「今までありがとう。罪滅ぼしじゃないけど、喜んでくれるかな」。15日夜、長男(49)、瑞木さん夫婦ら約15人で同市田上から流し場の大波止まで送る。
 精霊船に込める思いは人それぞれ。人の数だけ、船の数だけ思いがある。送ることは悲しい。でも8月15日、この日くらいは長崎らしく、にぎやかに、そしてしめやかに。人それぞれの送り方で。15日、精霊流し。


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