15日、いわてグルージャ盛岡が「Youtuberの那須大亮氏と契約した」と公式発表。アンバサダーなどの仕事かと思いきや、なんと現役選手としての加入であった。
かつてオリンピックに向けた年代別の代表選手であったことでも知られる名DFの那須大亮氏であるが、すでに引退から数年が経過しており、そこからの復帰は全くの予想外であった。
今回は彼のように「現役引退からしばらくして復帰した」10名の世界的スター選手を取り上げてみよう。
ポール・スコールズ
やはり最も有名なのはマンチェスター・ユナイテッドのレジェンド、ポール・スコールズであろう。36歳となった2010-11シーズン、チームの中心的な選手として活躍を続けながら、終了後の引退を表明。コーチに就任していた。
ところがそれから半年が経った2012年1月、怪我人の続出から中盤が手薄になったこともあり、突然選手としてピッチに復帰することを宣言。当初はそのあたりのショップで買った市販のスパイクでプレーしていたとか。
さらに2012-13シーズンもプレーを続け、38歳で再度現役を離れている。無口な選手として知られていたが、引退後はなんと毒舌解説者になるのだから才能というのはわからない。
ヘンリク・ラーション
同じくマンチェスター・ユナイテッドに所属したことで知られるスウェーデンの英雄ラーションも、長いキャリアを楽しんだ選手の1人だ。バルセロナでプレーした後、2006年に古巣でもあるヘルシンボリに復帰。上記のようにユナイテッドへの短期ローンも経験し、2009年に現役を引退。
その後は指導者に転身していたが、2012年夏に下部リーグのロオIFで現役に復帰。次年度には息子が所属していたヘーガボリのアシスタントコーチとなり、42歳でピッチにも立っている。
ステード・マルブランク
引退を表明したというより、「引退と広く報じられた」という謎のエピソードを持つ選手である。
かつてフラム時代には稲本潤一選手と同僚だったことで知られる彼は、2011年夏にサンテティエンヌと契約。ところがその一ヶ月後、「息子が癌にかかったことにより現役を離れる」という報道が広く流れた。ところがその後マルブランク自身がその報道を否定し、1年後には古巣のリヨンに加入。何ごともなかったかのように現役を続けることとなった。
なお、彼はその後2017年夏にカーンで現役を離れたが、その数カ月後にアマチュアリーグで現役復帰。結局昨年までプレーを続けていた。
イェンス・レーマン
時々見せるクレイジーな振る舞いとスーパーセーブで知られるレーマン。ボルシア・ドルトムントとアーセナルで長くプレーし、2010年にシュトゥットガルトで現役を離れた。
しかし、古巣アーセナルがゴールキーパーの怪我人に悩まされていた2011年、かつての守護神レーマンに目をつけた。連絡を受けた彼はそれを快諾し、現役復帰を決断。1試合だけの出場であったが、アーセナルの危機を救っている。
マルク・オーフェルマルス
一時期は世界最高クラスのウイングとして名を馳せたものの、晩年は怪我に苦しみ本領を発揮できなかったオーフェルマルス。2004年に31歳という若さで現役を離れざるを得なくなってしまった。
その後彼はデビューしたクラブでもあるゴー・アヘッド・イーグルスの株主となり、技術的な問題に対処するために監査役に就任した。
そして2008年7月、ヤープ・スタムらとのOBマッチに出場した彼のプレーが多くのクラブの目に留まった。現役復帰のオファーがいくつも舞い込んだというが、愛するゴー・アヘッド・イーグルスでのプレーを選択。膝が再び悪化するまでの1シーズン、ピッチで24試合出場した。
ロマーリオ
何度も何度も引退を示唆しながらなかなか辞めず、「これで最後」と言った後にも戻ってきたロマーリオ。まさに巨匠である。
2007年にヴァスコ・ダ・ガマで通算1000ゴールという記録を達成し、翌年3月に42歳で現役を引退すると宣言。4月発売のDVDでもその決断をフォローした。
ところが2009年8月、父親の希望を叶えるためとしてアメリカに入団。リオデジャネイロ州選手権2部のチームに所属し、1試合に出場した。現在はもちろん政治家として活躍している。
ケヴィン・グロスクロイツ
ボルシア・ドルトムントでは香川真司とともに長くプレーしたユーティリティプレイヤー。ドイツ代表でもプレーした彼であるが、2015年からは紆余曲折のキャリアを送る。
ガラタサライへの移籍は「書類が期限に間に合わなかった」として認められず、半年間ピッチから離れることとなり、それもあってホームシックを患う。2016年には2部のシュトゥットガルトと契約してピッチに戻るも、2月には乱闘事件で負傷したことによってチームから解雇されてしまう。そして、その会見で「当面現役を離れる」と宣言した。
しかしその後ダルムシュタットから誘いを受けて、2017年夏から再びプレーに戻ることが決定している。
また2021年にはユールディンゲンで現役引退を宣言したものの、その二日後にベーヴィングハウゼンというアマチュアクラブで復帰。現在も地域リーグでプレーを続けている。
ジーコ
もちろん日本人としては外すことができない神様ジーコ。1989年にフラメンゴで現役を引退し、ブラジル政府のスポーツ大臣として働いていた。
しかし1991年、Jリーグへの参入を表明していた住友金属(鹿島アントラーズ)と契約し、38歳でピッチに復帰した。
1993年に開幕したJリーグでは、既に40歳という年齢となっていたものの素晴らしいテクニックで会場を沸かせ、日本にサッカーブームをもたらした。次年度に再び現役を引退し、後に鹿島のアドバイザーに就任している。
アリエン・ロッベン
チェルシー、レアル・マドリー、そしてバイエルン・ミュンヘンで長く活躍したオランダ代表の名ウインガー。右サイドからカットインしてシュートを狙うプレーは「誰もが分かっているが止められない」代名詞であった。
キャリアを通して怪我に悩まされた彼は2019年夏に現役引退を表明し、スパイクを脱ぐ。しかしながらそれから1年後、自身が少年時代を過ごしたフローニンゲンがコロナの影響で経営難になったこともあり、現役復帰を決断した。
1年の休息によって体の状態は回復していたと言われるが、ただ開幕から数試合後に再び負傷。残念ながらそれほど出場機会は掴めなかったものの、6試合に出場して再び引退している。
アントニオ・カッサーノ
イタリアのお騒がせ男アントニオ・カッサーノは、引退に関してもお騒がせだった。2017年7月10日にエラス・ヴェローナと契約したが、その次の週には現役引退を表明。家族との時間を大切にしたいと退団した。
ところがそれからすぐに彼は引退を撤回し、ヴェローナでプレーを続けると宣言。そして7月27日、引退の撤回を撤回し、改めてピッチを離れることを宣言した。
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そして7月31日には引退の撤回の撤回を撤回し、新しいクラブを探していると宣言したものの、いいオファーがなかったことから引退を決めた。そして1年後、現役復帰を宣言してヴィルトゥス・エンテッラで練習したが、その数日後に現役引退した。