ネパールから思わぬ感謝状 22年前の学校建設で

ペンバさん(右)から感謝状とカダを受け取った島崎さん夫婦=白山市石同町

  ●白山の95歳島崎さん「未来が楽しみ」

  ●卒業生ペンバさん「いつか日本に恩返し」

 2001(平成13)年、ネパール・モンジョ村の学校建設に携わった島崎四郎さん(95)=白山市石同町=に15日までに同校から感謝状が贈られた。卒業生のシェルパ・ペンバ・ラハムさん(27)=宇都宮市=が13日、島崎さん宅を初めて訪れ、「学校のおかげで質の高い教育を受けられた。いつか日本に恩返ししたい」と感謝した。22年越しの思いがけない贈り物に島崎さんは目を細めた。

 ペンバさんは「島崎さんが喜ぶと思って」と民族衣装に身を包み、感謝状を島崎さんに手渡した。祝い事の際に身につけるネパール伝統の布「カダ」を島崎さんと妻満さん(90)にプレゼントしたペンバさんは、流ちょうな日本語で「おかげで、日本で勉強することもできた」と島崎さんに礼を述べた。

 松任小校長だった島崎さんは退職後、趣味の登山で初めてネパールを訪れた。ヒマラヤ山脈を目指して立ち寄った標高2800メートルのモンジョ村で、子どもたちが机も椅子もない境遇で勉強している姿を知った。

 島崎さんは帰国後、ネパールの学校に不足する文具を贈るとともに、校舎を建てることを決意。ネパールで撮影した作品でチャリティー写真展を開いたり、寄付を募ったりして資金を集めた。島崎さんの活動を取り上げた北國新聞の記事を読んだ人から多額の善意が寄せられたこともあった。

 活動を始めて4年後の01年、モンジョに二つの教室と事務所、ホールがある平屋建ての校舎が完成した。

 ペンバさんは、この年から5年間学校に通った「1期生」で、18年に来日した。「モンジョには虫歯の子が多いが、村では治せない。自分が治療できるようになりたい」と、現在は宇都宮市で歯科衛生士の国家資格取得を目指している。

 昨年、帰国した際、現地でネパールを支援する日本人と知り合った縁で、島崎さんが健在であることを知り、直接会ってお礼が言いたいとの思いが芽生えた。その思いを学校に伝えたところ、感謝状の贈呈が決まった。

 ペンバさんから感謝状を受け取った後、島崎さんは、さっそくカダをまとい、01年の開校式を収めたビデオ映像や写真をペンバさんに見せた。ペンバさんは「近所のおじさんが若くてびっくりした」と笑い、「今、学校には33人通っていてたくさんの子どもが柔道の練習をしています」と学校の近況を伝えた。

 遠く離れたモンジョ村にいる母親の話になると、涙ぐんだペンバさんに、島崎さん夫婦は「夢にむかってまっすぐな女性に育って(ペンバさんの母親は)喜んでいるよ」と励まし、「いつでも白山市に遊びにおいで」と優しく声をかけた。

 ペンバさんは、15年のネパールを襲った大地震の際、日本は義援金や救援物資を届けてくれたとして「日本で学んだことを母国に持って帰り、いつか日本に恩返ししたい」と意気込み、島崎さんは「ネパールの未来が楽しみ」とほほ笑んだ。

島崎さんが建設に携わった校舎=2001年、ネパール・モンジョ村(島崎さん提供)

© 株式会社北國新聞社