小児がんで息子は旅立った 母がつなぐ支援の輪 「雄太が生きたかった1日を無駄にしたくない」

1年前、かけっこが得意だった男の子が、8年の生涯を終えました。母親は悲しみを抱えながら、病気に苦しむ子どもや家族の力になろうと立ち上がりました。

宮城県富谷市に住む千葉友里さん(40)です。去年7月、三男の雄太君(当時8歳)を小児がんで亡くしました。

お盆を前にした、12日。同じように子どもを失った家族らが集まりました。帰らぬわが子への思いを届けようと友里さんが呼び掛けました。「うちの長男(亡くなった雄太君の兄)が、お空の人への思いを風船の中に閉じ込めてお空に飛ばしたら、届くんじゃないかって」。風船に書き込んだのは、亡き子どもへ宛てたメッセージ。友里さんは、こんな思いを寄せました。「ゆうだいへ いつも見守ってくれてありがとう。大好きだよ いつも一緒だよ」

雄太君に異変が起きたのは小学校に入学してすぐのことでした。「小学校に入学してから2週間くらいで、ちょっと学校に行きたくなさそうになって、行き渋りっていうか、時間になってもこのソファから動かない」。大学病院で告げられたのは、小児がんの一つ、「小児脳幹グリオーマ」でした。脳幹に悪性の腫瘍ができる病気で、根治するのが難しいとされています。「とにかく、『症状が悪化するまでの期間、良い時間を過ごせるように頑張りましょう。そこがゴールです』という病気なので」

放射線治療を受けた雄太君。「やれることはやってあげたい」友里さんはそう考えました。家族と一緒に過ごした日々。大阪へ出掛けた思い出が記憶に残ります。「USJだけじゃなくて、ポケモンも好きだったので、ポケモンのホテルに泊まって、ポケモンカフェ行って、雄太が一番喜んでいたのはそれ」

しかし、非情な別れが訪れます。告知から1年余り後、雄太君は8年の生涯を終えました。「何もしないと、やっぱり雄太のことを考えちゃうし、だから、『何でいないんだろう』とか、『何でうちの子なんだろう』って思うとどんどん悲しくなってきちゃうし、今もこの病気で闘っている人たちもいるし、早く治る病気になってほしいなと」

別れから2カ月後。友里さんと残された兄弟で立ち上げたのが、小児がんの支援団体「ひまわりスマイルプロジェクト」です。取り組みの一つが、「レモネードスタンド」。アメリカで小児がんの女の子が始めた運動で、レモネードを販売し、その収益を小児がん支援に充てるものです。

今月11日、青葉区で行った「レモネードスタンド」。「いらっしゃいませ〜!冷えてるレモネードありますよ〜!」元気よく声を上げるのは、鈴木健介君、8歳。母のゆう子さんと共に、プロジェクトに参加しています。健介君自身、難病の「再生不良性貧血」になり、ドナーからの骨髄移植で救われた経験があります。健介君の母・鈴木ゆう子さん「元気になった今、今度は私たちが何かをしなきゃいけない、何かがしたいと思って」

女性客「どっちがお薦めですか?」健介君「こっちが一番人気です」女性客「人気?じゃあそれにします」女性客「こうやって何か私でもできることがあるならうれしいなと」

今ではさまざまな人がこの取り組みを支えています。千葉友里さん「買いに来てくれる人がたくさんいれば、間接的にでも応援してくれる人たちがいる。自分だけじゃないって思えるのは、すごく、私たちだからできることかなって思ってます」

友里さんは、新たな活動も始めました。今月1日、友里さんたちがやって来たのは、富谷市のパン屋さんです。闘病経験のある子どもやそのきょうだいに夢を持ってもらおうと、お仕事の体験イベントを企画しました。「難病を抱える子どもたちとかって、やっぱり体調面のリスクとか、配慮してほしい部分があったりとかで、諦めてしまうということもあると思うので、少しでも笑って楽しかったという実感は増やしてあげたいなって思っています」。集まった子どもたちは、パン作りやレジ打ちを体験。焼きたてのパンのお味は…。みんな「いただきます」「あまーっ!」

雄太君を亡くして1年…。支援に没頭してきた日々。千葉友里さん「雄太が何か、生きた証しを残したいわけじゃないんですけど、活動してることで、社会的な中で生きていくじゃないですけど、とにかく雄太が生きたかった1日を無駄にはしたくないから、何となく生きるんじゃなくて、ちゃんと意味のある生き方をしようと思って。とにかくできることをやろうと、走り抜けたのが1年ですかね」

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