遠藤航の前にリヴァプールで背番号3をつけた5人の選手

リヴァプールに移籍した日本代表MF遠藤航は、新天地でも背番号3を背負うことになった。

ここでは、遠藤の前にレッズの3番をつけた5人を振り返ってみる。

ファビーニョ

3番だった期間:2018~2023

リヴァプールで通算219試合出場。

レアル・マドリーでも1試合だけプレーしたことがあるブラジル代表MF。

もともとはサイドバックだったが、守備的MFにコンバートされてブレイクした。そういうこともあり、モナコ時代は2番を着用。

この夏にサウジアラビアのアル・イティハドに爆買いされ、新天地でロレックスをいきなりプレゼントされたことも話題に(サウジでは8番)。

ママドゥ・サコ

3番だった期間:2016-17

リヴァプールで通算80試合出場。PSGでは弱冠17歳でキャプテンを託された元フランス代表DF。

彼は父が13歳で亡くなり、貧困のために物乞いをして暮らしていた時期もあるため、両親の祖国であるセネガルに孤児院を作り、子供たちを飢餓から救うなど慈善活動にも取り組んでいる。

フィジカルなどポテンシャルは秘めていたが、リヴァプールでは期待されたほどの活躍はできず。

レッズでは17番だったが、最後の年に3番に変更。ただ、その年は出番なく、2017年1月にクリスタル・パレスにローンされ、その後、完全移籍で退団した。

なお、現在所属するモンペリエでは75番をつけている(75は出身地であるパリ市の番号)。

ホセ・エンリケ

3番だった期間:2011~2016

リヴァプールで通算99試合出場。

ボール扱いに長け、最終ラインからの組み立てや攻め上がってのクロスで崩しに貢献できた現代的なスペイン人サイドバック。意外にもフル代表での出場経験はなし。

「アンフィールドでキャプテンマークを巻いた日は忘れられない」と語ったこともある。

怪我に苦しんで引退した後は脳腫瘍と闘病。回復したが、手術の影響で涙が出なくなったと明かしている。

ポール・コンチェスキ

3番だった期間:2010-2011年1月

リヴァプールで通算18試合出場。

正確なボールコントロールと鋭いクロスを武器に21歳で代表デビューした元イングランド代表左サイドバック。

ロイ・ホジソン監督のもとフラムで活躍すると、指揮官とともにリヴァプールへ移籍。だが、恩師が半年でリヴァプールを去ると、彼も同じように半年で放出される憂き目にあった(1月にノッティンガム・フォレストにローンされた後、レスターに完全移籍)。

そのため、リヴァプール史上最悪の駆け込み移籍のひとつとされている。

スティーヴ・フィナン

期間:2003~2008

リヴァプールで通算217試合に出場した元アイルランド代表DF。なお、背番号は3だったが、右サイドバックである。

自身も認めているように派手さはなかったものの、攻守の安定感を武器にリヴァプールで一時代を築いた。ラファ・ベニテス監督も一貫性を評価していた。

16歳の時にウィンブルドンユースから放出されるとノンリーグでトライアウトを受けるなど、5部相当から這い上がった苦労人でもある。

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そこからチャンピオンズリーグ優勝を果たすまでになるが、イスタンブールの奇跡と呼ばれた2005年のCL決勝では前半終了時に負傷交代。その結果、チームは3-4-2-1にシステムを変更し、奇跡の優勝に繋がった。

フィナンはその交代劇について「もし、自分が怪我をしていなければ、僕らは優勝していないだろうね。あの怪我はリヴァプールで自分に起きた最高の出来事だったよ」とユーモア交じりに語っている。

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