「ずっと大好き。母ちゃん、頑張るから」京都・福知山の花火露店爆発、愛息亡くした母の10年

遺髪を入れたボール型の陶器を手に空さんをしのぶ母(京都府京丹波町)

 死傷者58人を出した京都府福知山市の福知山花火大会露店爆発事故から15日で10年。惨事は被害者とその家族の人生を大きく変えた。当時、現場に居合わせた2人の記者が当事者を訪ね、あの日から重ねた日々と胸の内を聞いた。

 男児の遺影は、本人が作りかけていた本棚に置かれている。少年野球で活躍した時のユニホーム姿。手に取り、抱き締めた。「ずっと大好きやで。母ちゃん、頑張るから」。10歳で命を終えた愛息の7月の月命日。京都府京丹波町の自宅で、1人語りかけた。

 男児の母親(49)。私は取材のたび、この家を訪ねた。福知山市の花火大会で起きた露店爆発事故で、小学5年生だった長男の空さんは大やけどを負って亡くなった。母親は改めて詳しく、当時の様子を話してくれた―。

 10年前の8月15日夜、夫からの電話が始まりだった。「病院に来て」。泣き声だった。空さんは祖父や友人と花火大会に出掛けていた。母親は事情が分からないまま、綾部市の病院へ。治療室で横たわる息子はやけどで顔が大きく腫れていた。

 「痛い、痛いよぉ」。消え入りそうな声。起き上がろうとした際に見た背中の皮膚は、剥がれそうなほど痛々しかった。乾いた喉を潤そうにも、容体の悪化を防ぐため水を含ませた綿を唇に当てるだけ。熱さに苦しむ空さんを一晩中、うちわであおぎ続けた。

 翌日、京都市内の病院に転院し、容体は落ち着いたかに見えた。だが3日後、集中治療室(ICU)で急変する。「帰ってこい。みんなで野球をするんやろ」。体中を包帯で巻かれ、肌がわずかに見える左肩をさすり、「空」と耳元で叫んだ。反応はなかった。

 棺の中の小さな体は誰にも見せたくなかった。「離れたくない。私が見てやらないと」。突然の別れは母親から笑顔を奪い、涙の日々を強いた。

 私が空さんの母親と最初に会ったのは、業務上過失致死傷罪に問われた露店主の判決を控えた、7カ月後だった。「二度と同じ事故を起こさないで。頭の片隅でいいから、空のことを忘れないで」。悲痛な声をノートに書き留めた。あの日から3年、5年…。会うたびに「前向きに頑張る」と話した。自分に言い聞かせるように。半面、本音をこぼす時もあった。「頭がおかしくなる。いなくなったことが受け入れられない」

 事故から6年目、再び悲しみが襲う。夫=当時(44)=が脳出血で急逝した。「七回忌をしっかりしてやろう」と、夫婦で話していた直後だった。

 かけがえのない家族を失った。「頑張って」と周囲から励まされても受け止められない。「ほんまの気持ちが分かるんか」。それでも少しでも前を向きたい、と勤めていたゴルフ場の会員に相談し、コンペを開くことに。大会名は空さんの名前にちなんで「ザ・スカイコンペ」。今年で8回目になり、約30人が集まる。

 母親の心を支える女性もいる。千葉県の同世代の母で、惨事から1年目の頃、「息子が空君とそっくりです。人ごとと思えない」との手紙をくれた。以来、メールやLINE(ライン)でやりとりを重ねる。一度も会ったことはないが、青空の写真を添えて「空君は必ずそばにいるよ」と励ましてくれる。

 この春、空さんの夢を10年ぶりに見たという。「空はごろごろ寝転んで、旦那はあぐらをかいて座っていたんです」と笑みを向ける。

 「今も悲しみは変わらない。けど、前に進んでいる感覚がある。だから夢に出てきてくれたのかな」

 母親は空さんと一緒に生きている。生かされている。

 福知山花火大会露店爆発事故 2013年8月15日午後7時半ごろ、福知山市猪崎の花火大会会場、由良川河川敷に並んだ露店から出火した。露店主が携行缶で発電機に給油しようとした際、日中の強い日差しで熱くなっていた缶からガソリンが噴出し引火、爆発した。見物客3人が死亡、55人が重軽傷を負った。露店主は業務上過失致死傷罪で禁錮5年の刑が確定した。

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