「高岡発ニッポン再興」その 98 緒方貞子に学ぶ・・・前例にとらわれない行動

出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・緒方貞子さん、国連難民高等弁務官時代「小さな巨人」と呼ばれた。

・湾岸戦争やユーゴスラビアの民族紛争中、前例のないやり方で難民支援に踏み切った。

・難民問題も高岡再興も「困っている人がいれば、助ける。前例にとらわれない。リアリスト」の原則を貫くべき。

先月発売の文藝春秋は「代表的日本人100人」との特集を展開しています。意欲的な特集です。「代表的日本人」と言えば、明治期の内村鑑三の名著ですが、今回の特集はいわば「令和版、代表的日本人」です。87歳の母親が面白いと連発。とりわけ緒方貞子さんに関する文章が気に入ったそうです。「前例のないことやったそうだね。高岡も良くなるためには、緒方さんのような姿勢が大事じゃないの」。

筆者は、ジャーナリストの国谷裕子さん。緒方さんについて、「前例や既存のルールにとらわれず、苦しんでいる人がいるなら保護し、救える人がいるなら救うということを自らの行動規範と定め、難民問題に取り組んだ」と評しています。

緒方さんについては私もかつて報道番組で取り上げたこともあり、興味深く読みました。その上で、緒方さんについて改めて調べました。難民問題にしても、高岡再興にしても、根っこは同じなんです。困った人をどう助けるかなんです。

緒方さんと言えば、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップである国連難民高等弁務官時代が有名ですね。ヘルメットをかぶり防弾チョッキで歩く姿は、テレビでよく映し出されました。身長150センチメートルで小柄なこともあり、「小さな巨人」と言われていました。

緒方さんが国連難民高等弁務官に就任したのは、1991年です。このころ起きたのは、湾岸戦争です。つまり、アメリカ軍主体の多国籍軍が、クウェートに侵攻したイラクに対し攻撃したのです。冷戦が終わったにもかかわらず、今度は地域紛争が起きる始まりとなったのです。

このとき、緒方さんは前例にとらわれない決断をしました。イラク国内にいたクルド人40万人が、トルコの国境に向かって避難しようとしましたが、トルコ政府が入国を認めなかったため、国境を越えられなかったのです。難民条約では、国境を越えていない人は難民とは定義されず、支援することはできませんでした。

クルド人を支援するかどうかについて激しい議論が起きましたが、緒方さんは「人の命を守ることが最優先」と、支援に踏み切ったのです。

また、ユーゴスラビアの民族紛争でも、大胆な行動に打って出ました。停戦合意がなく、救援物資をどう届けるのか。緒方さんが頼ったのは、国連保護軍です。国連保護軍のもと、大規模な空輸に踏み切ったのです。これは人道支援としては異例中の異例です。人道活動にかかわる人の中では、軍との協力を嫌う人も多かったのです。中立を損なうというのです。そんな反対意見があったのですが、緒方さんは、国連保護軍に協力をお願いしました。国谷さんによれば、「私は人権屋ではなく、リアリスト」と緒方さんが言っていたそうです。こうした緒方さんの行動は、次第に世界から信頼を得たのです。

UNHCRは、国連機関の中でも小さな目立たない組織でしたが、緒方さんの10年で一変したといいます。緒方さんは地位や名誉、金銭に一切、執着がなく、仕事にまい進していました。

私は緒方さんのことを調べれば、調べるほど、高岡市にも緒方イズムが必要だと思っています。困っている人がいれば、助ける。そして、前例にとらわれない。リアリスト。こんなシンプルな原則を貫くべきです。

緒方さんは2000年12月に職員へのお別れの挨拶で、「官僚主義に陥らず、自分の頭で何ができるのかを考え続けてほしい」と呼びかけました。そうなんです。市職員、市民、みなさんが自分が何ができるか考えることこそ、高岡再興の第一歩になるのです。

トップ写真:記者会見に出席する緒方貞子国連難民高等弁務官(2000年2月8日 チェコ・プラハ)

出典:Sean Gallup / Getty Images

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