小説=流氓=薄倖移民の痛恨歌=矢嶋健介 著=41

「これで安心だ。はらはらさせられたが、先ずは、難関を突破できた。わしのコーヒー園で働いてもらってもいいと思ったが、あまりにも耕地に近すぎる。少し距離はあるが添島植民地にお願いしたんだよ。あそこはこの地方きっての高台で、健康地と言われているから、田倉さんの病気はすぐ治るよ。パトロンは日本人で、いい男だ。皆頑張るんだぜ。わしはここで失礼するが、太郎が行くから心配は要らん。では、皆、元気でな」

 岡野は夜逃げの一行を誘導しているという卑屈さなど微塵もなく、ごく明るく振舞った。力強く手を上げて振った。

 

 周囲一帯はコーヒー園であった。星明りが、一メートル高の幼樹の連なりを、濃い墨絵のように照らし出していた。その中をぬって、ほの白く砂の道が延びていた。夜道がこのように爽やかであることを律子ははじめて味わった。夜明け前のしじまを破って、馬の蹄と車輪の軋む音が響いた。

「添島植民地までどの位あるの?」

 律子は尋ねた。太郎は月明かりに浮かぶシルエットの近景と道筋を確認しながら、

「十二、三キロかな。けど、もう半分は来たよ」

「夜が明けて着けばいいんだ。向こうには磯田さんという植民地の責任者がいる。コーヒーの蒔き付け四年契約の一家族が退耕したので、そこへ田倉さんたちが入る。家も井戸もあるそうだよ」

「原始林の開墾でなくてよかったわ」

 律子は、遠い道程を経てきた足腰の疲れも忘れ、傍らの太郎と、もう何年来の知己でもあるかのような親しみを覚えて話し込んだ。

 添島植民地には、何ヵ月か前に追放された八代家が住んでいて、自分たちを迎えてくれるかもしれない。そんな気がして、律子は一人で心を弾ませていた。

 

 

第三章

 

添島植民地

 

 土地は下り勾配で、コーヒー園が切れた個所から、雑木林が原始林に変わった。下りつめた所は幅三メートルばかりの澄んだ小川となっていて、せせらぎが爽やかな音を立てていた。川には橋がなかった。太郎はそこで馬車を止めた。疲れている馬を休ませてやるのだ。二頭の馬は口を水につけた。馬の胴体は汗が強く匂い、黒光りしている。

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