『トヨタ・カローラFX(AE82型)』シビックとの“FF対決”に先勝したホットハッチ【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、グループA規定の全日本ツーリングカー選手権を戦った『トヨタ・カローラFX(AE82型)』です。

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 その車両規定区分の名称から“グループA”という通称でも呼ばれる1985年に始まった“ハコ”の全日本選手権『全日本ツーリングカー選手権(JTC)』。このグループA時代のJTCにおいて、総合優勝争いに負けず劣らずの盛り上がりを最終年である1993年まで見せていたのが、最小排気量クラスにおけるトヨタ・カローラvsホンダ・シビックの戦いだった(シリーズ初年度のみカローラとシビックの属するクラスは最小排気量クラスではない)。

 このクラスにおいて、トヨタの主にカローラ系のマシンを走らせるチームは、初年度に今でも“ハチロク”の愛称で親しまれるAE86型の『カローラレビン』を導入したことを皮切りに、AE92型、AE101型の『カローラレビン』などでライバルのシビック勢と対峙していた。

 そんなグループAカローラの系譜のなかで“ハチロク”の次にトヨタ陣営の主力として投入されたのが、AE82型の『カローラFX』であった。

 1984年に市販車がデビューした『カローラFX』は、まだAE86型の『カローラレビン/スプリンタートレノ』も新車販売されている時代に登場したハッチバックボディの2BOXカーで、2BOXの日本車としては初めてDOHCエンジン(4A-GE)を搭載した『GT』というホットモデルも設定されていた。

 そんな『カローラFX』は、JTCを戦うベース車としては先代となるAE86型の『カローラレビン』との最大の相違点は、駆動方式がFRからFFになったことだった。

 これによってデフやミッションのセッティングや整備性などにチームは苦労させられるようになり、土屋エンジニアリングの走らせた車両は、1986年の導入初戦でステアリングが切れないほどの重さになってしまうという問題が発生していた。

 しかし、それもデフのセッティングの変更ですぐに解消され、土屋エンジニアリング以外のチームたちも改善を重ねた結果、徐々に『カローラFX』は、そのポテンシャルを発揮するようになっていく。

 実力を見せつけたのは1985年の最終戦、富士スピードウェイで開催されたインターTECラウンドにおいて『カローラFX』を初導入したトムスだった。

 トムスの『カローラFX』は、筑波サーキットで開催された1986年の第3戦で、クラス優勝のみならず総合3位に入る活躍を見せると、西仙台ハイランドで行われた第4戦では、雨中の悪コンディションも味方につけ、格上のニッサン・スカイライン勢などを従え、総合優勝を達成。予選終了後にドライバーからのリクエストによって、デフのセッティング変更を徹夜で敢行した努力も実って手にした勝利だった。

 この活躍は、トムスだけにとどまらなかった。今度は土屋エンジニアリングの『カローラFX』が第5戦のインターTEC、鈴鹿サーキットでの最終戦とシビック勢を負かし、総合順位でも上位に入りながらクラス2連勝をマークした。

 その結果、ドライバー部門では土屋エンジニアリングの『カローラFX』をドライブした鈴木恵一が王者となり、製造者部門でもトヨタがホンダを退け、『カローラFX』はフル参戦初年度にしてJTCクラスチャンピオンの座に輝いたのだった。

 しかし翌1987年。この年はシビックが逆襲とばかりに破竹の快進撃を見せ、なかでも無限のシビックがなんと6戦全戦でクラス優勝を果たし、『カローラFX』勢は未勝利に終わってしまう。

 そしてこの年を最後に『カローラFX』は主力の座を退き、トヨタ陣営は1988年中に徐々にAE92型の『カローラレビン』へとベース車をチェンジして、シビックとの戦いを続けていった。

1986年の全日本ツーリングカー選手権を戦った土屋エンジニアリングのADVAN COROLLA FX。鈴木恵一と岡田秀樹がドライブした。
1986年の全日本ツーリングカー選手権第4戦西仙台ハイランドを戦った浅野レーシングサービスのウェッズスポーツカローラFX。浅野武夫と木村雅範がステアリングを握った。
1986年の全日本ツーリングカー選手権第5戦インターTECを戦ったトムスのワコールFX。岡本佳織とエイエ・エルグがドライブした。

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