長崎・立山防空壕 「原爆遺跡」の追加指定へ本格調査始める 2026年度、国に具申書提出

県防空本部跡の内部=2019年、長崎市立山1丁目

 長崎原爆投下後に情報収集や救援・救護などの行政拠点となった「県防空本部跡」(長崎市立山1丁目)について、市の長崎原爆遺跡調査検討委員会(下川達彌会長)は22日、国史跡「長崎原爆遺跡」への追加指定に向けた本格調査を始めた。2025年度に報告書をまとめ、26年度には長崎県を通じて意見具申書を文化庁に提出する方針。
 市によると、防空本部跡は立山防空壕(ごう)とも呼ばれ、横穴式のコンクリート造りの遺構。1945年3月までに完成した。原爆投下時は永野若松知事(当時)らが会議中だったが、爆心地から金比羅山を挟んで約2.7キロ離れていたことなどから「被害は僅少」と誤った判断をした。その後被害の深刻さを把握し、焼失した県庁などに代わる行政機能の中心となった。
 検討委員は考古学や歴史、工学などの専門家5人。22日の第21回会合では現地視察後、調査方針について意見を交わした。文化財として価値付けをするため、今後は発掘調査などを通じて遺構の範囲を確定させたり、証言記録などを詳しく調べて内部の機能や用途を確認したりする必要があると確認。下川会長は「防空本部は最初に長崎原爆の記録を集約し、救援の第一声が発せられた場所。今日の長崎の基になる場所であり、原爆遺跡として考えていかなければいけない」と述べた。

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