SL列車で「最も偉大な米大統領」のおくりびとを体験!?

 【汐留鉄道倶楽部】2024年11月の米大統領選挙で再選を目指す現職のジョー・バイデン大統領(民主党)は、ロイター通信とイプソスの7月の世論調査で支持率が40%と低迷している。野党共和党の候補者争いでは前大統領のドナルド・トランプ氏は大きくリードしているが、バイデン氏に敗れた20年の大統領選の結果を覆そうとして国に欺いた罪などで3回にわたって起訴されて「米大統領に名を連ねていること自体が米国史の汚点だ」(米国人)と後ろ指を差される始末だ。

米ペンシルベニア州の観光施設「ストーン・ゲイブルズ・エステート」を走る蒸気機関車(SL)がけん引する列車=2022年5月28日

 これに対し、ユーゴブの23年4~6月期の調査で最多の78%が支持するなど「最も偉大な米大統領」として広く認知されているのが大統領在任中に奴隷解放宣言に署名し、「人民の、人民による、人民のための政治」という名言を残した第16代米大統領のエーブラハム・リンカーン(1809~65年)だ。1865年4月に首都ワシントンのフォード劇場で観劇中に銃撃されて命を落とした後、埋葬先となった中西部イリノイ州スプリングフィールドまでの約2700キロを蒸気機関車(SL)が引く特別列車で遺体を運んだ。

 リンカーンの柩を載せた客車は1911年に焼失してしまったが、昔の写真を参考にして再現した模造車両が死去150年後の2015年に完成した。その模造車両を見学できるという東部ペンシルベニア州の観光施設「ストーン・ゲイブルズ・エステート」を訪れた。

煙を吐いて森を走り抜けるSL列車=2022年5月28日

 切符を買って係員に「リンカーンの霊柩車両のレプリカを見るのにどこへ行けばいい?」と尋ねると、「あそこからSLに乗るんだよ」と先にあるプラットホームを指さした。

 それを聞き、SLがけん引する模造車両に来場者が乗り込み、リンカーンの柩に寄り添う「おくりびと」体験が待ち受けているのかと想像した。もしも「最も偉大な米大統領」の葬送を観光客向けのショーに利用しているとすれば、不謹慎ではなかろうか。

 たとえ乗り込むのは模造車両とはいえ、リンカーンの遺体を載せているわけではないとはいえ、ワシントンではフォード劇場に面した建物が「リンカーンが死去した家」と看板を掲げて観光施設化しているお国柄とはいえ…。

リンカーンの柩を運んだ客車の模造車両=2022年5月28日

 どんな展開が待ち受けているのかを手に汗を握りながら見守っていると、スタンダールの小説の題名をほうふつとさせる赤と黒で彩られた蒸気機関車(SL)が正面の大きな煙突から白い煙を吐き出しながら近づいてきた。東京ディズニーランド(千葉県浦安市)の園内を走る「ウエスタンリバー鉄道」のSLとよく似たデザインで、ぴかぴかだ。

 乗務を終えた機関士に「よく手入れしているね」と話しかけると、「これは1868年に造られたカリフォルニア州のセントラル・パシフィック鉄道向けのSLを実物大のサイズで再現したものだよ」と明かした。ただ、「本物は火室で木を燃やすことで水を沸騰させて蒸気を作っていたけれども、この機関車は木の代わりに原油を燃やしているんだ」とも付け加えた。

  「どれもこれも模造品か」という心の声が伝わってしまったのかどうか、「この路線はリンカーンの特別列車が実際に通ったんだよ」という補足説明も受けた。

模造車両に置かれたリンカーンの柩に見立てた木棺=2022年5月28日

 SLにも増して興味津々だったのは、リンカーンの柩を載せた模造車両だ。ところが、SLに連結されていたのはアニメ「きかんしゃトーマス」の「アニー」と「クララベル」のような外観の客車だけだ。

 狐につままれたような気分で車内のクロスシート座席に腰かけると、車掌の「出発進行!」というかけ声とともに列車が動き出した。SLの汽笛が響く沿線には木々が生い茂り、映画化された小説「マディソン郡の橋」に登場するような屋根付き橋もある牧歌的な風景だ。

 出発駅の約2キロ先にある倉庫で停車すると、車掌から降りるように促された。下車すると隣の線路にチョコレート色の客車が停車しており、これこそリンカーンの柩を運んだ模造車両だった。

 SL列車で模造列車を保存している倉庫へ赴き、車内に入るというのが見学ルートだった。実物大の車両は長さが約15メートルあり、台車が通常の2倍の四つあり、計16もの車輪を備えているのが特徴的だ。

エーブラハム・リンカーン米元大統領(ホワイトハウス提供)

 乗り込むと、足元に草花の模様のカーペットが敷かれて重厚な雰囲気が漂う。木目の壁に沿った通路を進むと、先には黒いカバーをかけた木棺が置かれており、花が手向けられていた。リンカーンの柩に見立てているのは一目瞭然だった。

 リンカーンの柩を運んだ車両は、大統領専用車両として1865年3月に完成した。しかし、係員によると「南北戦争が続いている中でリンカーンはぜいたくな車両に乗るのをためらい、一度も足を踏み入れなかった」そうだ。

 暗殺を受けて柩を運ぶのに使うことが急きょ決まり、リンカーンの他に11歳で病死した三男、ウィリアムの遺体も運ばれた。連結した特別列車はフィラデルフィアやニューヨーク、シカゴなどを経由して「引きも切らない国民が最後の別れを告げた」そうで、奴隷解放宣言を出したリンカーンだけに「死を悼む黒人の姿も目立った」という。

 模造車両はイリノイ州のボランティアら約30人が約3年半がかりで組み立て、35万ドル(約5千万円)程度もの費用を賄うために多くの人が寄付をした。

 「最も偉大な米大統領」が暗殺で非業の死を遂げたことに大勢の国民が心を痛め、畏敬の念を持って葬送した史実。それを後世に伝えようと車両を再現し、大切に保存をしてきた人たちの精神はまぎれもなく「本物」だった。(提供写真以外は筆者撮影)

  ☆大塚圭一郎(おおつか・けいいちろう)共同通信ワシントン支局次長。エーブラハム・リンカーンが首位だったユーゴブの調査で、ドナルド・トランプ前大統領の支持率は40%と同氏までの歴代44人中33位と、想定外の高さに驚きを禁じ得ませんでした。

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