大谷翔平 通訳・水原氏が紹介したカリスマ美容師の「正体」資産家で顧客はセレブ予備軍

(写真:AP/アフロ)

エンゼルスの大谷翔平選手(29)は16日(現地時間)、レンジャーズ戦の第1打席で、42号ホームランを放った。

「フルスイングの勢いでヘルメットが外れて、黒髪をなびかせながらダイヤモンドを一周した大谷選手の珍しい姿に、ほとんどすべての観客たちが魅了されていました。SNSでも《爽やかすぎる》《まるで映画のワンシーン》《ウェーブのかかったきれいな髪で、コマーシャルができそうだ》といった絶賛の声が相次いだのです」(在米スポーツライター)

大谷の髪形については、先日も現地で話題になったことがあった。

「6月20日(現地時間)の試合のことでした。大谷選手は前日がオフのため、髪を切っていたのです。同時に、通訳の水原一平さん(38)も髪を短くしていたことから、『親友の2人だから一緒に美容室に行っていたのかも!?』といった声が多くあがっていました」(前出・在米スポーツライター)

果たして真実は――。在米コーディネーターはこう証言する。

「確かに大谷選手は現在、水原さんに紹介された米国人のカリスマ美容師・Aさんに散髪してもらっています。美容室ではなく、LAの高級住宅街にあるAさんの自宅を訪ねているそうです」

Aさんは資産家だという。

「顧客は富裕層の若い実業家たちが大多数で、いわゆる“セレブ予備軍”だそうです。基本的に紹介制で、誰でも手掛けてもらえるわけではありません。もともと水原さんが知り合いで、以前から担当してもらっていたようです。

実は大谷選手は昨年までは同じチームメイトの母親が美容師だったため、その女性に切ってもらっていたのです。しかし、その選手がエンゼルスから移籍してしまい、困った大谷選手に水原さんがAさんを紹介したようです」(前出・在米コーディネーター)

カット料金は驚くほど高いわけではなく、米国の美容室の平均的な価格で、70ドル(約1万円)~100ドル(1万4千500円)程度だという。

「その美容師さんはカットで儲けようとはまったく思っておらず、いまや半分趣味。頼まれればやってあげているそうです。カットのペースは月1回や週1回と不定期ですが、気が向いたら一平さんと一緒に行くといいます」(前出・在米コーディネーター)

大谷は日本ハム時代、同僚に散髪してもらったことがある。当時を知るスポーツ紙記者は言う。

「’15年の春季キャンプでは、当時の主将・宮西尚生選手が大谷選手の髪を切っていました。練習後に、襟足を刈りそろえたヘアスタイルにしていましたね。大谷選手は『髪を切りに行こうと思ったのですが、面倒くさい』との理由でバリカンで刈ってもらったそうです」

■「お父さんのヘアスタイルがいちばんいい」

髪を切ってもらう人にはこだわりがない大谷だが、一つだけ、散髪の際、注文することがあった。大谷が小学生のころに通っていた地元・岩手県奥州市の理容室「ヘアーサロンこう」店主・佐々木興子さん(86)は本誌の取材にこう語る。

「ここには月に1度ぐらい、お父さんと一緒に来ていました。お父さんが襟足を少しパサパサと長めに残しているのが好きだったのね。それで『お父さんと同じ(髪形)!』と言う子でしたよ。襟足の一部を3~4センチくらいパサパサと伸ばして、あとは刈り上げていました。

来店するたびに『今日はどうする?』と聞いたんですけれど、毎回『お父さんと同じ!』って言うんです。お父さんのヘアスタイルがいちばんいいと思っていたみたいでね。かわいいですね。お父さんがかっこいいと思って一緒にカットしに来ているんだなと思いました。

おとなしい子でしたよ。たいていのお子さんはお父さんを散髪している間、走り回ったりしているものですが、翔くんはお父さんが終わるまで最後まで真面目に座ってる子でしたよ。

だからね、やっぱりお父さんを尊敬しながら育ったのかなと思いました。何をするときもお父さんに『こうしていい?』と聞いてましたね。素直でいい子でしたよ」

そんな大谷の父・徹さんは8月8日、甲子園のスタンドにいた。

「大谷選手の母校・花巻東が8年ぶりに夏の甲子園で白星を挙げた試合を観戦しに来ていたんです。徹さんは同校の佐々木監督の息子・麟太郎選手の大活躍に目を細めていました。

徹さんは金ケ崎リトルシニアの監督として中学時代に麟太郎選手を指導したこともあります。記者から大谷選手の中学時代と比較するとどうかと聞かれ『力は麟太郎選手のほうが上。当たったときの力はすごい!』と絶賛していました」(前出・スポーツ紙記者)

そのときの徹さんの髪形は、確かにヘルメットなしでダイヤモンドを颯爽と一周した大谷の髪形ととてもよく似ていた。前出の在米コーディネーターは言う。

「大谷選手の髪形は“動きやすさ”がポイントだそうです。いまだにお父さんの髪形を参考にしているかもしれませんね」

前出・佐々木さんも言う。

「翔くんに最後に会ったのは日本ハムに行くときに近くの集会所で送別会をしたときです。30キロ入った地元のお米を町内会長さんが持っていって、『ほれ、これ食って頑張れ!!』ってあげたんですよ。それで『頑張れなー』って言って、みんなで見送ったの。翔くんはニコッと笑っていました。

米国にいる今も、あのときの笑顔と変わらないですよ。翔くんの今の顔はお父さんそっくり! 一緒に髪を切りに来ていたときのお父さんと同じ顔をしているの。だから、やっぱり親子なんだなあと思いました。また髪を切ってあげたいけど、来るかどうかはわからないから(笑)。来てくれたらうれしいですね。いつも地元のみんなで応援しています」

佐々木さんの声は弾んでいた。大谷の“カミ技”で故障者が相次ぎ苦戦するエンゼルスの危機一髪を乗り切れるかーー。

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