くらしき伝建地区の未来へ 〜 歴史的都市景観を後世に継承するためのガイドブック

かつて江戸幕府の直轄地として定められた倉敷川のほとりは、現代では蔵や町家を活用した店舗が並んでおり、多くの人で賑わっています。

歴史的な町並みが観光客であふれているようすは、伝統や文化だけでなく経済的な豊かさも感じ取れる光景です。

しかし観光客や事業者、そして昔から生活を営んできた人たちなど、さまざまな立場の人が集まる場所では、認識のずれや価値観の違いにより問題が発生します。

倉敷伝建地区をまもり育てる会は、倉敷の歴史ある景色を後世に残すために発足した団体。

重要伝統的建造物群保存地区に選定されている倉敷川のほとりの景観を保護するために、多様な立場の人にむけて地域の歴史や商業活動におけるお願いごとをまとめたガイドブック「くらしき伝建地区の未来へ」を制作しました。

倉敷伝建地区をまもり育てる会の会長 大賀紀美子おおが きみこ)さんと、倉敷市地域おこし協力隊 澤江亜玖里さわえ あぐり)さんに、歴史ある町並みを守る取り組みについて教えてもらいました。

倉敷伝建地区をまもり育てる会とガイドブック「くらしき伝建地区の未来へ」

倉敷伝建地区をまもり育てる会とは、どのような団体なのでしょうか?

そして、ガイドブック「くらしき伝建地区の未来へ」にはどのようなことが書かれているのでしょうか?

伝建地区の景観を守る取り組みについて紹介します。

倉敷伝建地区をまもり育てる会とは?

倉敷伝建地区をまもり育てる会とは、重要伝統的建造物群保存地区(以降、伝建地区)として選定されている鶴形山の南側周辺の倉敷川湖畔にある8つの町内会により構成される団体です。

先人たちから受け継いだ歴史ある町並みを守り、継承することを目的としています。

伝建地区とは、城下町、宿場町、門前町など、町一帯として歴史ある町並みが残る環境を保全することを目的に、文化庁が選定した地区。

倉敷においては、土蔵造りの蔵や商家、町家が連なる町並みが残っており、江戸時代に物資の集積地として栄えた面影が感じ取れることから、保全の対象とされています。

伝建地区内に居住する約270世帯の全員、そして伝建地区内で商業活動を行うすべての事業者が、倉敷伝建地区まもり育てる会の会員。

2006年に、伝建地区のあり方について住民や事業者の意見を取りまとめる団体として発足しました。

ガイドブック「くらしき伝建地区の未来へ」とは?

ガイドブック「くらしき伝建地区の未来へ」は、伝建地区の住民や事業者に向けて、伝建地区の歴史や伝建地区内での商業活動に関するお願いごとをまとめた冊子です。

倉敷市地域おこし協力隊の澤江亜玖里さんがデザインを担当。

ピクトグラムや伝統色を使用したデザインにより、幅広い年齢層の読手が内容をわかりやすく理解できるような工夫が施されています。

伝建地区の住民や事業者でも、広告物、建物の改修など、伝建地区内のルールを把握できていない人もいるため、景観が損なわれたり、住民の生活環境が悪化したりするなどの課題が生じていました。

そこで、伝建地区への理解を深めてもらうために、伝建地区の歴史伝建地区内で事業をおこなううえでのルールをまとめたガイドブック「くらしき伝建地区の未来へ」を制作しました。

伝建地区の住民や事業者に配布されています。

大賀紀美子さんの経歴

倉敷伝建地区をまもり育てる会 会長 大賀紀美子さん

倉敷伝建地区をまもり育てる会の会長を務める大賀紀美子さん。

美観地区内にある日本郷土玩具館の館長も務めています。

1967年に開館した日本郷土玩具館には、初代館長の大賀政章(おおが まさのり)と現館長の大賀紀美子さんによって収集された郷土玩具が展示されています。

日本郷土玩具館を始めるまえ、大賀さんたちは住居や蔵の活用方法について倉敷民藝館の初代館長 外村吉之介(とのむら きちのすけ)に相談にいきました。

当時、倉敷川湖畔一帯の町並みを保護する活動を始めていた外村さんから、郷土玩具館として活用することを提案されたそうです。

日本郷土玩具館の運営をしながら、景観を守る活動にもかかわっています。

澤江亜玖里さんの経歴

倉敷市地域おこし協力隊 澤江亜玖里さん

倉敷市地域おこし協力隊 澤江亜玖里さんは生まれも育ちも倉敷。

伝建地区に密着した仕事をしている澤江さんですが、学生時代は深くかかわっていなかったそうです。

小学校、高等学校の授業で、それぞれ1回しか伝建地区に足を運んだことがありませんでした。

大学進学を機に京都へ移り住み、建築デザインを勉強。

空き家を改装したカフェ兼コミュニティスペースを運営したいという目標から、倉敷市で空き家活用に取り組むNPO法人倉敷町家トラストで、地域おこし協力隊として仕事を始めました。

大学で学んだデザインについての知識を生かしながら、ガイドブック「くらしき伝建地区の未来へ」の制作に携わりました。

大賀紀美子さん、澤江亜玖里さんへインタビュー

ガイドブック「くらしき伝建地区の未来へ」の制作に携わった大賀紀美子さんと澤江亜玖里さんに、伝建地区での取り組みについて聞いてきました。

伝建地区の現状と課題について、現地で活動をおこなっているふたりの想いを紹介します。

伝建地区をまもり育てる会が生まれた理由

──伝建地区をまもり育てる会が発足したきっかけは?

大賀(敬称略)──

2006年、美観地区の夜間景観照明計画や電柱類地中化事業、道路美装化事業が行政を中心に進められていました。

しかし、当時の伝建地区の住民たちの意見はバラバラで、一つにまとめることが困難な状態。

たとえば、世界的に活躍するライトアップデザイナーの石井幹子(いしい もとこ)さんの提案した照明についても賛否がありました。

他にも、道路美装化事業であれば、路面の材質をどのようにするかなどにも議論がおよびました。

伝建地区のあり方について議論を重ねるなかで、住民たちの意見を取りまとめる場所の必要性を感じ始めたのです。

──最終的に照明のコンセプトはどのようなものになったのでしょうか?

大賀──

美観地区の夜間景観照明を計画していたころ、全国の観光地でライトアップが盛り上がっていました。

江戸時代の城下町の面影を残す岐阜県高山市の町並み、同じく江戸時代に社交の場として栄えた石川県金沢市の茶屋街なども、ライトアップに力を入れていたんです。

石井さんが美観地区のライトアップに着手する際に注目したのは、倉敷市湖畔一帯は住民たちの衣食住がそろった地域だったということ。

およそ60年前(1960年代)、私が生活していた今の日本郷土玩具館の周辺には、散髪屋、鮮魚屋、自転車屋などの日常生活に必要な店舗が並んでいました

江戸時代に物資の集積地として栄えた名残を、当時の私は目にしていたのです。

そのことを知った石井さんは、町の生活感を表現するために、建物の窓から照明が盛れるような演出を提案しました。

他の住民の意見もありましたが、美観地区の歴史に基づいた石井さんの提案が最終的に採用されました。

──どのような目的を持って活動するようになったのでしょうか?

大賀──

夜間景観照明計画などの事業を経て、伝建地区の住民がいろいろな意見を持っていることがわかりました。

町の未来について考えるためには、伝建地区に住む人たちが、もっと語り合わないといけないと認識した出来事でした。

伝建地区に住む人たち全員で、「どうしたら私たちの住む町を美しく保てるか」という問いを考えなくてはなりません。

そこで、住民たちと伝建地区のあり方について語り合う場所として、NPO法人倉敷町家トラストの代表 中村泰典(なかむら やすのり)さんとともに、倉敷伝建地区をまもり育てる会を設立しました。

ガイドブック「くらしき伝建地区の未来へ」と伝建地区

──ガイドブックを制作した目的は?

澤江──

倉敷市民であっても伝建地区について知らない人もいます。

ガイドブックを手に取ることで、伝建地区の歴史を知ってもらい、大切にしなくてはならない土地だということに気がつくきっかけを作りたいと思いました。

また、伝建地区で事業をおこなっている人のなかにも、伝建地区で営業するための約束を把握できていない人もいます。

ガイドブックがあることで、掲示物や建物の改修に関する約束について認識してもらえると考えました。

大賀──

私たちの活動は、伝建地区に住む人たち全員で取り組んでいる活動です。

決して規制によって取り締まるための団体ではありません。

強制するのではなくて、住人も、観光客も、事業者も、みんなが気持ちよく過ごすために、約束事を大切にしましょうという呼びかけを、ガイドブックを通じておこなっています。

そのためガイドブックには、伝建地区の価値、そして町並みを守るためのお願いごとをまとめました。

──地域おこし協力隊として、学生時代の勉強は生かせましたか?

澤江──

大学では建築デザインの勉強をしました。

冊子のデザインに取り組んだことはありませんでしたが、人の目を引きつけるような色使いやレイアウトについては、別の視点から学んでいたんです。

また、ロゴやイラストを描くためのアプリケーションは使いこなせるので、ガイドブックの制作に活用しています。

学生時代に身につけた知識や技術を、地域おこし協力隊の活動に生かせました。

大賀──

ガイドブックのデザインは、澤江さんが自ら考えています。

伝建地区をまもり育てる会の理事会は毎月一回おこなわれていて、毎回の理事会でガイドブックの制作についての進捗を澤江さんは報告しています。

私が特別に指示を伝えなくても、澤江さんは試行錯誤しながら良いものを提案してくれました

──とくに制作にあたって気をつけた点はどのような点でしょうか?

澤江──

読手が多様だということを意識して編集しました。

伝建地区について関心がない人に対しては、まず興味を持ってもらう必要があります。

文章だけの情報量の多い媒体は手にとってもらうことが難しくなるので、ピクトグラムを活用して、視覚的にわかりやすいデザインにしました。

一方で、町の歴史などは単純には表すことは難しいため、正確に伝えるためには文章により情報が提示されている必要があります

とくに商売に関する約束事が曖昧に伝わってしまうとトラブルの原因にもつながるので、正確な情報を伝えなくてはなりません。

興味を持ってもらうページと、詳細に読み込んでもらうページが共存するように編集しました。

倉敷市地域おこし協力隊が伝建地区で感じたこと

──地域おこし協力隊として町とかかわって感じたことは?

澤江──

自分のカフェを持つことを最終目標に、倉敷市地域おこし協力隊になりました。

しかし、いざ美観地区でカフェをやろうとしたときに、テナント料がものすごく高くて、個人でカフェを経営するのは絶対に無理だと知ったんです。

さらに、地域おこし協力隊として地域コミュニティと関係を築いていこうと考えていたのですが、そもそもコミュニティがありませんでした

伝建地区にもとから住んでいる人たちは高齢化が進んでいて活発な人が少なく、地域にゆかりのない企業がテナントを借りて事業をおこなっています。

私のような若い人が、コミュニティを築いていかなくてはならないと考えるようになりました。

──コミュニティを築くためにガイドブックは役立ちそうですか?

澤江──

江戸時代の面影を残す町並みは、全国的に見ても希少な存在で、伝建地区に価値を感じた多くの人が観光に訪れます。

一方で、商売をするには絶好の場所のため、地元にゆかりのない大きな企業が参入し、テナント料の高騰につながっています。

文化や町並みを守るためには経済活動だけに意識を向けてはいけません。

経済を倉敷や岡山だけで完結させることはできないので、今の外部の資本を排除することは難しいでしょう。

それでも、文化や歴史の大切さを伝える活動を続けなくてはならないと考えています。

ガイドブックは文化や伝統を伝えるための活動で、外部からきた企業に向けての情報発信に役立っています。

大賀──

確かに、伝建地区に外部の企業が入ってきているという現状はありますが、逆に地域からの発信も強くなっているように感じています。

澤江さんが手掛けてくれたガイドブックは、まさに伝建地区の価値を伝えることに役立っているでしょう。

私の周りでは伝建地区の価値に気がつき行動する人が増えているような印象を受けます。

澤江さんのような、次の世代の人たちのアイデアと行動を楽しみにしています。

ガイドブック「くらしき伝建地区の未来へ」を読み終えて

人が集まる場所には、お金の流れが生まれるのは自然なことなのでしょう。

かつての蔵や町家には飲食店やアパレル店、雑貨屋などが看板を掲げており、さまざまな企業による商業活動がおこなわれています。

そして経済が広範囲に広がった現代においては、倉敷にはゆかりのない企業も参入しています。

地元に根付いた価値観との対立を生む要因なのかもしれません。

大賀さんや澤江さんの話を聞いて、文化や伝統という価値が、貨幣価値や効率といった現代社会において重視されている指標に飲み込まれそうな状況にあるのだと感じました。

しかし活発な商業活動は、文化や伝統に相対する存在ではなく、人や経済的な利益をもたらすという利点にも着目しなくてはなりません。

歴史的な景観を後世に継承し、文化や伝統の尊さを伝えるという精神的な豊かさと、活発な商業活動により人や物資、資金が流れる経済的な豊かさを成り立たせようという想いがガイドブック「くらしき伝建地区の未来へ」に書かれています。

ガイドブックを読み終えて、精神的な豊さと経済的な豊かさの両立こそが、伝建地区が目指すゴールなのだと感じました。

© 一般社団法人はれとこ