死去1年 京セラ稲盛和夫さんの遺産「今こそ必要」 故郷・鹿児島の経営者、月1勉強会続ける 入塾希望も増

稲盛和夫氏

 京セラ創業者の稲盛和夫さんが90歳で亡くなって24日で1年。故郷の鹿児島では、いまも毎月「鹿児島盛経塾」の若手・中堅経営者たちが勉強会を開いている。稲盛さんが提唱した「アメーバ経営」や「フィロソフィ」に基づいた経営の実践を目指して切磋琢磨(せっさたくま)している。

 「稲盛さんが亡くなってから一層学びに熱が入っている」。そう語るのは、代表世話人の一人、ファルマコム(鹿児島市)社長の上原靖洋さん(48)だ。

 同塾は2019年に解散した「盛和塾鹿児島」に代わって20年に発足した。発表者は過去10~20年分の会社の財務状況を示しながら、約40分間で経営状況を発表する。その後のディスカッションではほかの塾生から「その経営は危うい」「従業員との接し方がなっていない」などと「立っていられないくらい」厳しい意見を浴びせられることもあるという。

 上原さんは「教えを受けた人はみんな、同じポイントを指摘する」と笑う。約2時間の勉強会後に開かれる懇親会の「コンパ」で、先輩経営者から励まされるまでが、盛和塾からの恒例となっている。

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 社員の幸福実現や社会貢献を重視してきた稲盛さんは「人と人との心のつながりを大切に経営をしてほしい」との思いで、ボランティアで40年近く塾長を務めた。盛和塾の解散時には「“稲盛”を目指すのではなく、“稲盛が追究した思想・哲学”を目指してほしい」との言葉を寄せた。

 盛経塾の発足後すぐに新型コロナウイルスの感染が拡大。影響は塾生たちの会社にも及んだ。しかし「今こそ塾長の教えを実践し、自分のものにするときだ」と奮起する人が多かったという。

 経営の教えには不況時を想定したものもあり、コロナ下では、世界的な金融危機が起きた08年の講話をみんなで読み返した。経営が危機に直面しても「諦めるな」「本当に考え尽くしたのか」と稲盛さんの言葉を思い浮かべ、塾生たちは自問自答を繰り返した。新商品開発や取引先の開拓に打ち込み、コロナ前よりも事業を拡大し業績を上げた塾生もいる。

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 稲盛さんが亡くなった直後の22年8月27日には、稲盛さんを慕う奈良県のグループと関西で合同勉強会を開いていた。3日後、報道で死去を知ると、多くの塾生が思い出や感謝の言葉を交流サイト(SNS)につづった。

 上原さんは「亡くなってから入塾希望者が増えた。紹介ではなくホームページを見て申し込んでくる人が多い」とこの1年を振り返る。功績が広く報道されたことで、改めて郷土の偉人の理念が広く知られたのではないかと推測する。

 コロナ禍やウクライナ情勢など、『こうすれば必ず成功する』という定石のない混沌(こんとん)とした時代。「塾長の教えは、経営のための戦略や戦術ではなく哲学。こうした時代にこそ求められているのではないか」と語る。

県外の塾との合同勉強会に臨む鹿児島盛経塾のメンバーら=7月、那覇市(同塾提供)

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