関東大震災100年、教訓生かすことが後の世代への責任だ 耐震化に代替拠点配置…「普段からの備えも大切」と谷防災相

 

1923年9月の関東大震災は10万5千人もの命を奪った

 谷公一防災担当相が、関東大震災発生から100年となる9月1日を前に共同通信のインタビューに応じた。首都直下地震や南海トラフ巨大地震などの大災害に向けた備えはどうなっているのか。耐震化率などのデータも交えながら、政府や行政の取り組みの現状と課題を語った。(共同通信=筋野茜)

 ―関東大震災から100年の教訓は何でしょう。

インタビューに答える谷防災相=8月18日、東京都千代田区

 「関東大震災は明治以降、近代日本の災害史で特筆すべき大災害で、大変大きな衝撃を当時の政府と人々に与えました。犠牲者10万5千人の9割が焼死ということから、火災に強いまちを作るために道路を拡幅。橋梁の強化や公園整備、学校の耐震化なども進めてきました。大震災後の取り組みは、その後の国や地方の対策に生かされています。
 特に後世に影響を与えた施策は、世界で初めて耐震規定を定めたことです。その後も1995年の阪神大震災を踏まえて基準を強化しています。2018年のデータでは耐震化率は87%まで上昇しています。苦い教訓を生かした成果ではないでしょうか」
 ―30年以内の発生確率が70%とされる首都直下地震に、国はどのように備えていますか。
 「最悪の場合の被害を減らすべく、基本計画を作り、さまざまな対策をしています。建物の耐震化や木造住宅密集地域の解消、感震ブレーカーの普及などを進めているほか、地震発生時に警察、消防、自衛隊の救助部隊がしっかり動けるように、あらかじめ活動拠点や進出ルートを明確にした応急対策活動計画を策定しています。政府も中枢機能がまひしないように、東京都立川市の立川広域防災基地など代替拠点を置いています」
 ―首都直下地震や南海トラフ巨大地震は被害が広域に及びます。都道府県境を超えた広域避難が必要になるかもしれません。
 「首都圏で9都県市が応援協定を結ぶなど、広域的な大災害に備える体制がある程度はあります。しかし、2011年の東日本大震災では、被災者はもっと広域に避難しました。首都圏の人が必ずしも首都圏にとどまるわけではありません。できるなら、より大きな相互協力の動きを加速してほしい。国としても全国知事会とも調整しながら、より実効性がある取り組みにしていきます」
 ―南海トラフ巨大地震の被害想定見直し作業が進んでいます。避難生活に伴う持病悪化などによる「災害関連死」を新たに盛り込む方向ですね。
 「災害関連死という考え方は阪神大震災で生まれ、災害弔慰金を支給する仕組みができました。死者約6400人のうち、関連死が約900人。しかし、2016年の熊本地震では関連死が直接死の約4倍も多かった。関連死は避けて通れないという問題意識を持っています。専門家に議論をしてもらい、検討を取りまとめてもらいます」
 ―災害が激甚化する中、「防災省」など省庁横断の防災組織創設を求める声も根強くあります。

インタビューに答える谷防災相

 「司令塔的な組織を求める声があることは承知しています。一元化すればものすごく効率的に対応できるのではないかという人がいますが、そこは誤解があると思います。例えば、国土交通省が担う国全体の道路や河川、砂防行政との整合性をどう取るのか。考えることは多岐にわたり、簡単ではありません。しかし、今の組織が絶対ではないので、常に柔軟に、今後のあり方を見直していく必要があると思っています」
 ―阪神大震災では、兵庫県の職員として復旧・復興に携わりました。
 「阪神大震災は突然で、備えがありませんでした。普段からの備えなしに、いざというときには対応できません。国だけでなく、自治体も普段からの備えや訓練の大切さを思い知らされた大災害でした」
 ―自治体や国民はどう備えるべきでしょうか。
 「災害への備えは、自治体によって温度差があります。気候変動の影響もあり、地震、風水害といった災害は全国どこにいても起こり得ます。過去のさまざまな大災害の教訓を生かすことが、後の世代のための責任だという気持ちで対応しなければなりません。国民の皆さんは、関東大震災100年を契機に、いざというときの避難場所や避難経路をもう一度確認していただきたいと思います」
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 たに・こういち 明治大卒。兵庫県に入庁後、防災局長などを歴任し、2003年に初当選。復興副大臣、党政調会長代理などを経て22年8月から現職。71歳。兵庫県出身。

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