シーボルトの音楽200年経てジャズでアレンジ 長崎市出身のピアニスト平戸さん披露へ

宮坂教授が所蔵するシーボルト直筆の楽譜と「日本の旋律」表紙のコピー。右の楽譜には歌詞も書かれている。

 江戸時代にドイツ人の出島和蘭商館医シーボルトが残した音楽を長崎市出身のジャズピアニスト、平戸祐介さん(49)がジャズアレンジした。シーボルトがもたらした文化を大切にしつつ、長崎の未来への希望を込めたという1曲を26日、地元の新大工町商店街の夏まつりで披露する。
 今年はシーボルトの来日200周年。医学や動物学、植物学などで知られる一方、日本の音楽を欧州に伝えた人物でもある。長崎くんちや宴会など、生活にあふれるさまざまな音を書き留め、分析した文書も現代に残っている。長崎純心大の宮坂正英客員教授は「当時どういうものがあったか、どんな音があったかを記録してくれている」と語る。
 宮坂教授によると、最初の帰国後の1836年、本人の作曲や作曲家J・キュフナーの編曲による計7曲を「日本の旋律」として刊行。自身が記録した俗謡「かっぽれ」を編曲した曲もあり、歌詞をローマ字つづりの日本語で書いた。宮坂教授は数十年前、子孫所蔵の関係文書からシーボルト本人直筆の楽譜を発見した。
 新大工町商店街から鳴滝2丁目のシーボルト記念館までの道は「シーボルト通り」と呼ばれ、シーボルトが出島から鳴滝塾へ向かう際に通ったといわれる。
 同商店街振興組合の児島正吾理事長と井上正文副理事長が楽譜の存在を知り、新大工町出身で小学生のときに同町のくんちの演(だ)し物「曳壇尻(ひきだんじり)」にも一緒に出た平戸さんに依頼。快諾を得た。
 シーボルトの楽譜に「日本音楽に対する興味や敬意を感じた」という平戸さん。「日本の旋律」の序曲と、編曲された「かっぽれ」を1曲にまとめ、ゆったりした曲調の4分半ほどに仕上げた。「シーボルトが残した音楽とジャズを行き来できるものを作ろうと意識。それこそが長崎に根付く文化の原点ともいえる『折衷』だと思う」と語る。
 来日200周年に楽曲を披露することに平戸さんは「長崎で生まれ育った私にとって最高の栄誉。心を込めて演奏したい」。かつてシーボルトが歩いた場所で、シーボルトが残したメロディーがジャズと織り交ざり、よみがえる。

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