米首都圏地下鉄の「ダンピング受注」狙った中国メーカー、そのもくろみが崩れた理由 ワシントン、日立受注で日系メーカーの独占も「鉄道なにコレ!?」【第49回】

By 大塚 圭一郎(おおつか・けいいちろう)

ワシントン首都圏交通局地下鉄の次世代車両「8000系」のイメージ(同交通局提供)

  米国のワシントン首都圏交通局が地下鉄の次世代車両「8000系」の発注先に日立製作所のグループ会社を選び、交通局の全ての営業用車両を日系メーカーが独占する可能性が出てきた。実は、8000系の発注先メーカーを選ぶプロセスで最有力候補と見なされていたのは中国の鉄道車両世界最大手、中国中車(CRRC)だった。「ダンピング(不当廉売)と言えるような好条件で受注を狙っていた」(関係者)とされる。中国中車のもくろみが崩れたのは、米国に近接するキューバにスパイ施設を設置する計画が6月に報じられるなど「ありとあらゆる手段で外国の機密情報を盗み取ろうとしている」(政界筋)とされる中国に対する米国の強い不信感があった。(共同通信=大塚圭一郎)

※筆者が記事に盛り込めなかった話を含めて音声でも解説しています。共同通信Podcast #42【きくリポ・鉄道なにコレ!?特別編5】を各種ポッドキャストアプリで検索いただくか、以下のリンクからお聞きください。
https://omny.fm/shows/news-2/42-5

川崎重工業製のワシントン地下鉄7000系=2023年6月1日、米メリーランド州で筆者撮影

 ▽日系メーカー独占は「大いに可能性がある」
 ワシントン首都圏交通局は2021年3月、256両の8000系の製造を日立製作所グループに発注すると発表した。日立が2025年10~12月期に納入予定の最初の編成はイタリアの工場で組み立て、ワシントン近郊のメリーランド州で建設中の工場で量産する。追加のオプション契約が全て行使されれば計800両納入し、その場合の受注額は22億ドル(1ドル=140円で約3080億円)に達する。
 8000系の導入で欧州系メーカー製の旧型車両の一部を引退させて置き換えることが既に決まっているが、もしもオプション契約を全て行使すれば欧州系車両を全て退役させることが可能になる。その場合は8000系と、計748両と全体の約6割を占めている川崎重工業グループ製の「7000系」の日系メーカー製車両が世界最大の経済大国の首都を走る地下鉄の営業用車両を独占することになり、鉄道大国・日本の技術を売り込む“ショーケース”の役割が期待できる。交通局関係者は「車両整備の効率化などを考えると、(営業用車両の)7000系と8000系への集約は大いに可能性がある」と打ち明ける。

ワシントン交通局が8000系の導入後に引退させる予定の形式の一つの「3000系」=2022年3月20日、米メリーランド州で筆者撮影

 ▽欧州系の牙城が崩れた要因
 米国に本拠を置く通勤用電車のメーカーが現存しない中で、ワシントン地下鉄の営業用車両は1976年の開業から40年近くにわたって欧州系メーカーが占めていた。
 2015年に7000系の営業運転が始まって欧州系の牙城が崩れた背景には「欧州系メーカーが頻発した車両故障の修理などに誠実に対応しなかったことにワシントン交通局首脳が業を煮やしていた事情がある」(鉄道車両メーカー関係者)とされる。かくして7000系の発注先を決める入札には7社が応募し、最終選考で川崎重工がフランスのアルストム、旧ボンバルディア・トランスポーテーション(現アルストム)を破った。
 交通局によると、7000系が2022会計年度(21年7月~22年6月)に故障が起こるまでに走った平均走行距離は9万3900キロと、欧州系メーカー製の旧型車両の3~4倍となった。

 ▽なんと「合法」!中国メーカー製の「スパイ電車」に広がった反発
 一方、8000系の受注に失敗した中国中車は「水面下では圧倒的な安値で受注しようと意欲を燃やしていた」(関係筋)とされる。だが、ワシントンと言えば米テレビドラマ「スキャンダル 託された秘密」の舞台となったように激しい情報戦と権謀術数が繰り広げられる政治都市だ。地下鉄には米国の機密情報を扱う政府職員らも多く乗っているだけに、「中国にスパイ電車を造らせていいのか!」と政界筋などが猛反発した。
 ワシントン交通局職員は当時のことを「政治家やロビイストなどから『中国中車を入札に参加させるな!』といった抗議電話が殺到し、中国中車の排除を要求する膨大な量の文書や電子メールも連日届いた」と打ち明ける。
 中国によるにわかに信じ難いような外国に対する諜報活動の実態を取材で聞いてきた筆者も、米国側が中国メーカーに対する懸念と不信感を募らせ、危機管理の観点からワシントン交通局に入札からの排除を求めたのは極めて適切な判断だったと受け止めている。
 なぜならば最近の鉄道車両はハイテク化が進み、ワシントンの地下鉄車両も情報収集に利用されかねない装備が満載だからだ。運転席のボタンを押せば出発し、次の駅のプラットホームの所定位置で自動的に停止する自動列車運転装置(ATO)を備えた車両にはカメラやセンサーが取り付けられ、車内の防犯のために監視カメラや通信システムを備える。
 中国は2017年に制定した国家情報法の第7条で「いかなる組織および個人も法律に従って国家の情報活動に協力し、国の情報活動の秘密を守らなければならない」と定めている。中国中車が自社製車両でスパイ活動を繰り広げ、中国当局に密告して「国家の情報活動に協力」しても中国の法律に則ればなんと「合法」なのだ。

 ▽中国メーカーは事実上排除、ボストン地下鉄は「安物買いの銭失い」
 中国メーカーの「スパイ電車」を阻止すべく、米国で2019年12月に成立した国防予算を決めるための国防権限法は連邦政府予算を使った中国メーカーの鉄道車両やバスの購入を禁止した。連邦政府予算による補助金を止められれば公共交通機関は車両購入の財源で息の根を止められることになり、中国中車は事実上排除された。
 ただ、これに先駆けて中国中車は米東部ボストンと西部ロサンゼルスの地下鉄車両、中西部シカゴの通勤用電車などを既に受注している。うち2019年に営業運転が始まったボストン地下鉄の車両は脱線やバッテリーの爆発、ブレーキの不良といったトラブルが続出し、たびたび運行停止に追い込まれている。知り合いのボストン住民は「安物買いの銭失いだ」とため息をついていた。
 日本には中国メーカー製の鉄道車両は走っていない。一方、国土交通省の「地域交通グリーン化事業」などの補助金支給が追い風となって日本のバス事業者は、中国の電気自動車(EV)大手、比亜迪(BYD)が製造した車両を路線バスに相次いで導入している。今年2月にはBYDが日本で販売したEVバスで、人体に有害な物質とされる六価クロムを含む溶剤が一部使われていたことが発覚した。

 ▽連結部の通路採用を指示?交通局トップを直撃取材すると…
 日立がワシントン地下鉄に納入する8000系は、車両同士の連結部分には開放した通路を設けた構造「オープンギャングウェイ」を2両当たり1カ所に採用する。それ以外の部分は、現行車両と同じように非常時以外は通り抜け禁止の扉を設ける。
 川崎重工が製造を進めるニューヨーク地下鉄の新型車両「R211」が一部編成で採用するオープンギャングウェイを、ワシントン地下鉄も「トップの肝いりで初めて採用することになった」ことは本連載「鉄道なにコレ!?」第48回でご紹介した。
 事実を確認すべくワシントン交通局のトップ、ランディ・クラーク最高経営責任者(CEO)を直撃取材すると「8000系の設計を日立側と協議している。通路を導入する方向に進むだろう」と事実関係を認めた。
 関係者によると、トップの指示を受けて設計現場は「車内の座席配置などの仕様を当初案から見直すことになった」という。最新の設計案を交通局から入手したので概要をお伝えする。

ワシントン地下鉄8000系に導入する「オープンギャングウェイ」のイメージ=2023年5月、ワシントンで筆者撮影

▽航空利用者向けに大きな空間
 ワシントン地下鉄は全日本空輸(ANA)の羽田空港と結ぶ路線も発着するダレス国際空港、米国内線が中心のレーガン・ナショナル空港に乗り入れていることもあり、8000系は大きな荷物を持った航空利用者らが利用しやすいようにオープンギャングウェイの周辺に大きな空間を設ける。
 車体をアルミ合金で造った電車は8両で営業運転し、設計案によると定員は計1328人。座席は表面を青色のビニール生地で覆い、計440席を備える。うち壁沿いのロングシートが280席、進行方向の前後を向いたクロスシートが160席となる。交通局職員は「(川崎重工製の)7000系より1両当たりの定員が約10人増え、輸送力を増強できる」と説明する。
 前照灯や車内は省エネルギーの発光ダイオード(LED)で照らし、車内の扉の脇に電車の停車駅などを案内する表示器を設置。車いす利用者向けの空間を各車両に2カ所設け、8両のうち半分の4両には自転車を持ち込めるスペースも用意する。冬に使う床暖房も導入する。

ワシントン地下鉄8000系に採用予定の座席=2023年5月23日、ワシントンで筆者撮影
ワシントン地下鉄8000系に設ける扉脇の表示器のイメージ=2023年5月、ワシントンで筆者撮影

 ▽NY地下鉄を受注した川崎重工は入札に参加せず
 7000系を生産した川崎重工は、8000系の入札に参加したかどうかを公式には「お話しできない」とコメントしている。筆者が複数の関係筋に当たったところ、川崎重工は入札に参加しなかったことが明らかになった。
 川崎重工にとってニューヨーク地下鉄から受注したR211は最大で1612両に上る「米国鉄道車両事業の最重要案件」(社員)となっており、受注できても最大で800両と半分のワシントン地下鉄8000系の優先度は低かった。
 加えて川崎重工は7000系で配線の施工不良などの品質問題があったため、交通局関係者は筆者の取材に「7000系のマイナスイメージが響いて8000系を受注するのは難しいと判断したのではないか」との見方を示した。
 この関係者は韓国の鉄道車両メーカー、現代ロテムも8000系の受注を目指していたと明かし、「技術面などの評価があまり良くなかった」と指摘。日立に白羽が立ったのは金額や車両の製造技術に加えて「アフターサービスを重視した姿勢や、(ワシントンに隣接する)メリーランド州に工場を建設して雇用を創出する計画も評価された」と説明した。
 日立が快適な乗り心地を提供し、耐久性も優れた高品質の車両を送り出し、ワシントン交通局が「良い買い物をした」と太鼓判を押す展開を強く期待している。

ワシントン首都圏交通局の地下鉄路線図(同交通局提供)

 【ワシントン地下鉄】ワシントン首都圏交通局が運行する地下鉄で、「ワシントンメトロ」と呼ばれる。最初の区間は1976年に開業した。レッドライン、シルバーラインなど色で名付けた6路線があり、ワシントンと近郊の住宅街を結んでいる。全部で98駅あり、総延長は約208キロ。2022会計年度(21年7月~22年6月)の累計利用者数は約6010万人だった。

 ※「鉄道なにコレ!?」とは:鉄道と旅行が好きで、鉄道コラム「汐留鉄道倶楽部」の執筆者でもある筆者が、鉄道に関して「なにコレ!?」と驚いた体験や、意外に思われそうな話題をご紹介する連載。2019年8月に始まり、ほぼ月に1回お届けしています。ぜひご愛読ください!

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