「兄の同居は認められない」警鐘を鳴らした児相のジレンマ 子どもの声をどうすくい上げるのか【大津女児虐待死事件(下)】

兄妹と母親らが住んでいた大津市の住宅=2021年8月

 2年前の夏、大津市内に住む小学1年の女児(6)が当時17歳の兄による暴行で死亡した。長らく別々の環境で暮らしてきた異父兄妹は、母親(43)の下で同居を始めたものの、わずか数カ月でネグレクト状態に追い込まれ、孤独とストレスを募らせた。
 別の薬物事件で逮捕、起訴された母親は拘置所で記者の面会取材に応じ「全ては私のせいだ」と語った。自らの意思で子どもを引き取りながら、養育を放棄した保護者の責任は重いだろう。だが、6歳児の死という深刻な結果に至るまでに、第三者が手を差し伸べることはできなかったのだろうか。
 事件後に滋賀県が公表した「児童虐待事例検証部会」の報告書には、一家と関わりのあった滋賀、京都、大阪、それぞれの児童相談所の動きが記録されている。私たちは報告書の内容を基に、改めて各児相の対応を調べ直すことにした。(共同通信=山本大樹、小林磨由子、吉田有美香)

【大津女児虐待死事件(上)】https://nordot.app/1064356411188084755?c=39546741839462401
【大津女児虐待死事件(中)】https://nordot.app/1064372543443157720?c=39546741839462401
 ▽「ごめん」っていう気持ちしかない
 女児が死亡してから1年と1カ月がたった2022年9月2日。大津地方裁判所で、麻薬取締法違反などの罪に問われた母親の公判が開かれ、兄が証人として出廷した。
 証言台は、傍聴席の視線を遮るようについたてで囲まれていた。だが、すぐ脇の被告人席からはよく見えるのだろう。裁判官に向き合った兄に向けて、被告人席に座る母親は笑みを浮かべ、小さな声で一言、二言つぶやいた。2人が顔を合わせるのは約10カ月ぶりだった。
 検察官は、無罪を訴える母親の主張を崩そうとさまざまな質問をぶつけたが、兄は抑揚のない声で「記憶にない」「覚えていない」と繰り返すばかり。「お母さんは唯一の身内だから、話を合わせようとしているんじゃない?」と揺さぶりを掛けられても、「それはないです」とにべもなく突き放した。

母親の一審が開かれた大津地方裁判所

 そんな少年が一つだけ言いよどんだ場面があった。検察官の「お母さんに対する今の感情は?」という質問に、彼はしばらく沈黙した後、「感情…感情…。感じてることっていうと、難しいけど」と口を開き、亡くなった妹の名前を出して、こう語った。
 「一番は『ごめん』っていう気持ちしかないですね。僕が実愛(みあい)を亡くしてしまったから」
 ▽大阪市が兄の合流を懸念した理由
 亡くなった清水実愛ちゃんは、2014年8月に母親の第3子として生まれ、生後7~8カ月で大阪市内の乳児院に一時保護された。当時、母親は定職を持っておらず、経済的に不安定だったため、大阪市の児相は「養育困難」と判断。実愛ちゃんはその後、約6年間を乳児院や児童養護施設で過ごすことになった。
 ちなみに、母親には既に元夫との間に生まれた長男(兄)と次男がいたが、息子2人は京都府内の児童養護施設や親戚宅、里親家庭などを転々としていた。後に養父となる別の男性との間には、末子の三男も生まれたが、実愛ちゃんは2021年春に母親に引き取られるまで、この異父兄弟たちと一緒に暮らしたことはなかった。

事件発生当時の家族関係

 そんな彼女の家庭引き取りはどのようにして決まったのか。当時、実愛ちゃんの援助業務を所管していた「大阪市中央こども相談センター(児相)」の音田晃一所長は、「個別事案についてはお答えできない」としながら、滋賀県が公表した報告書を補足する形で、引き取りに至る過程の一端を明かした。
 報告書でも明記されているが、実愛ちゃんを引き取りたいと強く要望したのは母親だった。大阪市児相はその意向を受け、引き取りの1年以上前から支援計画を立て、面会や、日帰りの「外出」、短期間の「外泊」といった段階的交流を重ねた。
 引き取りの時期は、実愛ちゃんの小学校入学に合わせて2021年春を予定していた。だが、直前になって「京都の里親家庭で暮らしていた兄が、その家庭を出ることになった」という情報が入る。この時、大阪市児相は母親に対し「もし兄が同居するなら、実愛ちゃんの引き取りは認められない」と警告した。
 なぜ兄との同居を懸念したのか。音田所長は「あくまで一般論」と前置きしつつ、次のように語った。「家庭引き取りに向けた支援計画というのは、その時の家族の顔ぶれを前提に考えるもの。家族構成が変われば、想定していなかった変化が起きる可能性がある。そのため、本当に引き取り可能なのかどうか、児相には慎重な判断が求められる」

 ▽既成事実化した同居、児相は追認
 大阪市が慎重に判断しようとしていた形跡は他にもある。実愛ちゃんは2021年3月に大阪市内の児童養護施設を出て、本格的に母親との同居を始めた。児相の手続きでは「施設入所措置の停止」と呼ばれる状態だ。国が定めた児童相談所運営指針によると、通常はこの「停止」から1カ月以内に措置が「解除」され、完全な家庭引き取りとなる。
 だが実愛ちゃんの場合、措置の「解除」は「停止」から約2カ月後の2021年5月だった。大阪市の関係者は「小学校の入学と時期が重なったこともあるが、複雑な家庭状況を踏まえ、より慎重に判断するべきだと考えたのだろう」と語る。
 その半面、「措置解除」を決定する直前にケースワーカーが家庭訪問した際は、兄が既に同居していたことが確認されている。この時、新しい家庭の核となるはずだった養父は不在だった。懸念していた「家族構成の変化」を目の当たりにしながら、児相はなぜ立ち止まれなかったのか。その点を問うと、取材に同席した担当課長は「家族構成はまだ流動的で、父親の不在、兄の同居が恒久的なものになるとは想定できなかったのではないか」と説明した。
 「計画にない兄の同居は認められない」と言いながら、その状況が既成事実化されると「恒久的なものではないだろう」と解釈して追認してしまう。それではあまりにご都合主義ではないだろうか。改めてそう尋ねると、担当課長は口惜しげな表情でこう語った。「児相は家庭引き取りに向けて計画を立てるが、最終的な家族の形はそのご家庭が決めること。児相が指示できるものではないんです」
 家庭訪問したケースワーカーの胸中にはジレンマや不安があったかもしれない。だが母親と兄、実愛ちゃんの3人暮らしはすでに動き始めており、結果的に家庭引き取りという結論を変えるには至らなかった。その後、実愛ちゃんに関する業務は大阪市児相の手を離れ、転居先である滋賀県の「大津・高島子ども家庭相談センター(児相)」に引き継がれることになった。

滋賀県の三日月大造知事(右)に報告書を渡す検証部会の野田正人会長

 ▽実現しなかった「合同引き継ぎ」
 自治体間の引き継ぎにも課題が指摘されている。前述した通り、実愛ちゃんのケースは生まれて間もない時期から大阪市児相が所管していた。他方、兄は2021年2月ごろまで京都府内で暮らしていたため、彼の援助業務は京都府児相の管轄だった。2人が大津市の母親宅へ転居したことにより、滋賀県は大阪市と京都府からほぼ同時に引き継ぎを受けることになった。
 検証部会によると、当初は滋賀、京都、大阪の3児相の担当者が集まって、対面で引き継ぎを行う予定だったが、日程の都合が合わず見送られたという。報告書では、この合同引き継ぎの見送りが一因となって「母親が長期不在になる可能性や、薬物使用等、家庭内のリスクと兄の性格、行動傾向など、本児(実愛ちゃん)への安全と安心に対するリスクを読み取ることができなかった」と総括している。

滋賀県の大津・高島子ども家庭相談センター

 自治体間の引き継ぎや連携の在り方は、これまでも問題になってきた。2018年3月、東京都目黒区に住む船戸結愛ちゃん=当時(5)=が両親による虐待で死亡した事件では、一家が転居前に住んでいた香川県の児相から目黒区の児相に虐待のリスクがきちんと伝わっていなかったことが明らかになった。政府は結愛ちゃんの事件後、自治体間の引き継ぎについて全国ルールを整備し、その中で「緊急性が高い場合には、対面での引き継ぎを原則とする」と明記した。
 大津市のケースでは、三つの自治体が関係している上、児相側は当初「虐待事案」ではなく、保護者の経済的な事情などを背景とした「養育困難事案」と認識していた。千件単位の事案を抱える児相の中では、相対的に優先度が低くなるケースだ。そのため、全国ルールに照らしても「3児相合同の対面引き継ぎが必要な緊急性の高いケースだった」と言えるかどうかは微妙だろう。
 だが、結果的に、親子間ではなく兄妹間の傷害致死事件になったことを鑑みると、やはり大阪市と京都府の担当者が直接、相まみえる機会をつくるべきだったのではないだろうか。
 ▽読み解けなかった兄の内面
 検証部会の報告書によると、母親の転居が頻繁だったこともあり、兄は6カ所の児相をたらい回しにされていた。乳児院や児童養護施設、一時的な家庭引き取り、親戚の家や里親家庭…。親の希望や児相の判断によって、生活環境は短期間で何度も変化した。保護者も母親や養父、施設の先生、祖母、里親と移り変わる中で、心を落ち着ける場所はあったのだろうか。高校は中退し、その後に勤め始めた会社も短期間で辞めることになった。

大津家庭裁判所の決定文の一部

 兄を少年院送致とした大津家庭裁判所は、その決定文で次のように指摘している。「少年は幼少期から、しつけの名目で暴力をふるわれてきた経験から、言葉で言っても分からなければ暴力もやむを得ないという価値観を有していた。暴力の危険性に対する認識も乏しいといわざるを得ない」
 こうした成育歴は、京都府児相から滋賀県児相への引き継ぎ資料にも含まれていたはずだが、見過ごされたままになっていた。滋賀県の担当者は「直近の記録に粗暴歴はなく、過去の古い記録にさかのぼらないと分からない情報。正直なところ、そこまでは読み解けなかった」と明かす。
 児相の対応が後手に回った背景には、兄が「17歳」という年齢だったことも影響しているだろう。児相が相談援助業務の対象とするのは原則18歳未満に限られる。「大人の一歩手前」にいる兄に対して、児相は妹の監護者として機能することを一方的に期待しながら、彼の内面に目を向けられなかったのではないか。
 当時は新型コロナウイルスの感染拡大期だったこともあり、児相はもっぱら母親との電話連絡を基に状況を把握しようとしていた。結果論ではあるが、夏休みに入ってすぐ家庭訪問ができていれば、兄の苦しみや実愛ちゃんへの暴行についても察知することができたのではないだろうか。
 ▽「どんな家族になりたいのか」
 今回の事件は、子どもの声をすくい上げることの難しさを浮き彫りにした。児相などの第三者機関が兄妹の声を受け止めるためにはどうすれば良かったのか。
 元滋賀県児相の職員で、児童心理司としての経験も豊富な菅野道英さんは「心理職のスタッフであっても、子どもたちの本心を聞き出すことは簡単ではない。今回の兄妹は事情が複雑で、さらに難易度が高かっただろう」と語る。

元滋賀県児相職員の菅野道英さん

 実愛ちゃんは6歳という年齢が対応を難しくする一因だという。「幼い子どもは大人が求めている答えに合わせてしまうところがある。彼女が不安を感じていたとしても、それを聴きだすには、心理職のスタッフとの関係づくりが必要だ」との見方を示す。
 兄については「幼い頃から安心できる居場所を与えられなかった彼が、困った時に母親を頼ってしまうのはあり得ること」とおもんぱかり、過去の逆境体験が第三者との信頼関係づくりでハードルになると指摘する。「彼の声に耳を傾けるというのは、過去のつらい体験も含め、いろいろな話を聴きだした上で人間関係をつくり直すということ。児相の職員が短期間で実現することは至難の業だ」
 兄に寄り添える人がいたとすれば、それは彼の援助業務を担ってきたケースワーカーぐらいだろう。ただ実際には、一人の職員が同じケースを担当し続けることは難しい。彼に頼れる人はいたのだろうか。私たちは京都府児相の関係者にも取材を申し込んだが、話を聞くことはできなかった。
 菅野さんは、複雑な家族で関係する機関が多岐にわたるようなケースでは、各児相の担当者はもちろん、当事者である親や子どもも交えた形で「どんな家族になりたいのか」ということをよく話し合うことが重要だと指摘する。「本人たちの『どうありたいか、どうなりたいか』を踏まえた上で、どんな懸念があり、またどのような支援が受けられるのかを全員で共有することが必要。それができていれば…」と悔やんだ。

大津市内の公園。左奥に見えるジャングルジムの下で実愛ちゃんが倒れているのが見つかった=2023年8月

 ▽6歳少女の生きた証
 事件の発生から2年が経過した。関係者によると、兄は今、少年院で危険物取扱者など複数の資格を取得するための講座を受講し、社会復帰に向けた準備を進めているという。拘置所にいる母親への手紙では、職業訓練の様子なども報告している。
 薬物事件で起訴された母親は一審の大津地裁で実刑判決を受け、控訴中だ。これからの人生をどう生きるのか。面会した記者が尋ねると、きっぱりとこう語った。「早く拘置所を出て、長男が少年院を出てくる時には出迎えてあげたい。薬物関係の仲間とは縁を切り、今度こそ子どもたちと一緒に生きていく」
 2023年8月1日。実愛ちゃんが亡くなってちょうど2年となる日に、一家が暮らしていた大津市の家を訪れた。家具や荷物が無造作に積み上げられていた玄関前はきれいに片付けられ、花壇にはひまわりの花が咲いていた。実愛ちゃんが見つかった公園に人影はなく、セミの声だけがしんしんと鳴り響いていた。
 私たちは取材を通じて、6歳の少女が生きた証を示したいと考えた。明らかにできたことはごくわずかだが、せめて実愛ちゃんのことを知る人には、その記憶をとどめていてほしい。そう願って、彼女の名前を記すことにした。

実愛ちゃんが倒れているのが見つかったジャングルジムには、事件直後、花や菓子、飲み物が供えられていた=2021年8月

© 一般社団法人共同通信社