漫才師・おかゆうたさんが61歳で死去、1週間前が最後の舞台

吉本興業所属のお笑いコンビ、おかけんた・ゆうたのおかゆうた(本名:井元保則)さんが8月22日、脳内出血のため、大阪市内で逝去したことが分かった。満61歳。同事務所が25日に発表した。

おかゆうたさん(提供:吉本興業)

おかゆうたさんは、鹿児島県出身。1981年、吉本新喜劇の人気座員だった岡八郎に弟子入りし、1983年に吉本の養成所「NSC」1期生として卒業後、同じく岡八郎に弟子入りしたおかけんたとコンビを結成した。

1987年に『第17回 NHK上方漫才コンテスト』優秀賞を受賞し、「心斎橋筋2丁目劇場」にも出演。同年に放送開始した『4時ですよーだ』(毎日放送)にもレギュラー出演して人気を得た。

同番組の終了後は、「なんばグランド花月」など劇場を中心に活動し、1997年に『第32回上方漫才大賞』奨励賞、1999年に『第34回上方漫才大賞』大賞を受賞。2012年には吉本百年物語10月公演『これで誕生!吉本新喜劇』に出演していた。

2020年ごろに体調を崩してコンビでの活動は休止状態に。2023年8月15日、大阪・難波の劇場「YES THEATER」でおこなわれた「よしもとお笑いライブ」にて、これから始まるコンビ結成40周年のプロローグとして漫才を披露したのが最後の舞台となった。

公演終了後にゆうたさんは、「40年はほんまにあっちゅうまでした」「1日でも長くやりたい」などと話していたそうで、相方のおかけんたは、「私の知る限り、こんなにみなさんに愛されてる芸人はいません。相方からポツンときたメール、『漫才やりたいです。』涙が止まりませんでした。それが実現した台風の最中での3年半ぶりの漫才。舞台で私の肩を持って重心をとる相方が、愛おしくて愛おしくてたまりませんでした」とコメント。

さらに、「漫才が終わって、取材を受けた時のゆうたくんの言葉『1日でも長くやりたい』というのがあるからね。ほんま、長く漫才やりたかった。旧暦の七夕の日に、天に召されたゆうたくん。この日だけでかまへんから、1年にいっぺん会って♪えぇ~漫才♪しょーな。今までありがとう。最高の相方、おかゆうたくん」と偲んだ。

通夜は8月26日・夜7時、告別式は27日・朝11時に「堺中央メモリアルホール」(堺市堺区)でおこなわれる予定。喪主は長男の井元拓斗(いのもと たくと)さん。

【相方・おかけんたのコメント全文】

週3で透析を受けていた、ゆうたくん。私が劇場にいると、「おっ、相方どやねん 」「ゆうた、元気してんの?」とみなさんが声をかけてくださいました。私の知る限り、こんなにみなさんに愛されてる芸人はいません。

そんなとき、相方からポツンときたメール、「漫才やりたいです。」涙が止まりませんでした。それが実現した、台風の最中での3年半ぶりの漫才。舞台で私の肩を持って重心をとる相方が、愛おしくて愛おしくて たまりませんでした。

漫才が終わって、取材を受けたときのゆうたくんの言葉「1日でも長くやりたいというのがあるからね。」

ほんま、長く漫才やりたかった。旧暦の七夕の日に、天に召されたゆうたくん。この日だけでかまへんから、1年にいっぺん会って ♪ えぇ~漫才 ♪ しょーな。今までありがとう。最高の相方、おかゆうたくん。

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