東海1部wyvern間瀬秀一監督がキャリアを振り返る!自分を必要とする場所での新たな挑戦とは

異色のキャリアを歩みながらJリーグ、ナショナルチームを率いた監督がいる。

現在東海社会人1部wyvern(ワイヴァン)で指揮を執る間瀬秀一監督、現役選手時代は数々の国を渡り歩いて豊富な経験を積んできた。

後にイヴィチャ・オシム監督の通訳としてジェフユナイテッド市原・千葉で初のタイトル獲得に貢献し、監督としてはブラウブリッツ秋田、愛媛FC、モンゴル代表を率いた。

Qolyは間瀬監督に独占インタビューを実施。これまで歩んできたキャリアを振り返る。最終回はwyvernでの挑戦、キャリアの目標を熱く語っていただいた。

新天地は地域社会人リーグ

――目の病気も完治して現在は東海社会人リーグ1部wyvernで指揮を執られています。なぜ社会人リーグを選択されたのでしょうか。

どこで誰に対してやるというのは、制限がないと思っているんですよね。J3、J2のチームで監督をさせてもらえて、その後モンゴル代表という素晴らしい異国の代表監督もやらせていただけました。

その後いま所属しているwyvernで、いままでプロでしか教えたことがなかったのに、昨年は生まれて初めて中学1年生を担当したんですよ。

2026年までにJリーグ参入を目指す

――育成年代も指導されたのですね。

いままで自分が築いたキャリアのすべてを懸けて、自分が担当した中学1年生を1年間指導させてもらいました。

最後にジュビロカップに出場しました。ジュビロ磐田、ジュビロ掛川、ジュビロ浜松の3クラブと、招待クラブ7チームの内の1つが我々のクラブ。10クラブで予選リーグと決勝トーナメントを戦って、僕らは偶然ジュビロの3クラブと当たって全部倒して優勝したんですよ。

――それは凄いですね。Jリーグクラブアカデミーを打ち破って優勝は流石すぎます。

それは僕の中ですごくうれしい経験でした。

今年は満を持してwyvernからトップチームを任されました。現在何とか無敗で首位を走っています(7勝3分0敗、8月14日現在)。

チームは「2026年までにJリーグ参入を果たす」という合言葉があります。自分がそこまで携わらせてもらえるかは分からないですが、僕はいまそういうクラブにいます。

一貫性のある育成システムを構築

――wyvernを詳しく教えていただけますでしょうか。

ありがとうございます。まず知っていただきたいのが、このwyvernは7年前にできた愛知県の刈谷市と知立(ちりゅう)市を本拠地とするクラブです。クラブができた瞬間からJリーグ参入を目指してるクラブなんですよ。これまではクラブができて、アマチュアで戦って勝ち上がり、応援してくれる方々とかスポンサーと、いろんな条件が重なってJクラブを目指し始める形が多いらしいんですよ。

このクラブは7年前にクラブが創立したときからJリーグ参入を目指しているクラブです。トップチームの監督としてはバトンを引き継いで、いま東海1部リーグを戦ってるんですよね。2026年までに参入を果たすことがクラブのコンセプトです。

もう1つは「一貫育成システム」といって、幼児からジュニア、ジュニアユース、ユースと各カテゴリーがあります。一貫したwyvernのトレーニングでゆくゆくはJリーグ参入を果たして(子供たちを)Jリーガーに。自分たちの育成の中からどんどんトップチームの選手を輩出するというコンセプトがあります。

――育成のコンセプトがしっかりしている点は魅力的ですね。

これに関しては、去年私が初めてU-13を受け持ったときに、ジュニアユースダイレクターという役職をやらせていただきました。そしてwyvern全体のプレーモデルを作らせていただきました

サッカーの「攻撃」、「守備」、「攻撃から守備」、「守備から攻撃」の4局面の項目があって、その項目に向かって練習メニューがあります。映像で全部まとめて、それをアカデミーの指導者全員と共有してやっています。

なので去年は私はU-13で、U-14、U-15とそれぞれ指導者がいます。一貫育成システムのコンセプトでやっているというのが現状ですよね。

自分を必要とする場所で力を発揮したい

――最後に、間瀬監督のキャリアの目標を教えてください。

キャリアの目標ですか。正直言うといまは、はっきりないんですよね。

ただ僕がいまどこでとか、いまはカテゴリーを気にしていません。ただ、いま質問をいただいてパッと思ったことは、自分の能力を必要としてもらえる場所で自分の力を発揮したいです。

それが日本であろうが海外であろうが、プロであろうが、育成であろうが。正直にいえば僕が日本で指揮を執るなら、日本一を目指したいです。海外、特にアジアで指揮を執るのであれば、日本以上のレベルにしたいですよね。海外のクラブ、海外の代表を率いて日本のクラブ、日本代表に勝つ。そういう仕事がしたいです。

誰も真似できない唯一無二のキャリアを歩んだ間瀬監督。選手としては5カ国を渡り歩き、帰国後は伝説的な指導者オシム氏の通訳を務め、Jリーグクラブ監督、モンゴル代表監督と新たな刺激を求めて挑戦者として戦い続けた。

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新天地wyvernで現在東海社会人1部リーグを無敗で首位と独走している。誰も予想できない独創的なチャレンジを続ける指揮官の活躍を今後も追い続けたい。

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